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■1999.5.31
不思議と月末はいろんなことが重なる。修理に出したThinkPad540は98年6月1日からのリース品なので、一年以内の無料お取り替えが適用されるらしい。あと一日遅かったらどうなったのだろうか。朝からパスワードの変更をしたり、新入社員に会社の仕組みを教育をしたりと忙しかった。明日からは六月が始まる。通勤のおともにアンドレ・ジッドの日記を読んでいるが、彼も11月22日生まれの蠍座だと知る。なんとなく、心の動きがわかるのもそのせいだろうか。しかし、出てくる知人が豪華なのには驚かされる。ランボー、アインシュタインまで登場する。フランス社交界というのは、共和制でも存在するものらしい。
■1999.5.30
日曜日の朝がゴージャスな天気だと、人間やっているのも悪くないと思う。昨日、疲れて十時前に眠ってしまったので、久しぶりに良く寝た充足感がある。昼過ぎまで寝ていられた学生時代がなつかしい。 洗濯をして、食事の片付けをし、借りてきた本を読みはじめたが、面白くて斜読みができない。じっくり読むのは体力がいる。 人生にはいくつかのスパイスが必要だが、ZEPPELINなんかこういうときにぴったりだ。元気のないときには、II、IIIと続けて聴くとよい。適当に甘さもあって、ハードロックの心地よさを体験できる。
■1999.5.29
15分で図書館を往復する。二週間前に借りた本を返却し、新書コーナーを目指した。スタインベック全集から【真珠・気まぐれバス】、【怒りのぶどう創作日誌・エデンの東創作日誌】と【アンドレ・ジッドの日記 II 1912〜1920】を借りてくる。本を読むのは通勤途中なので、短編集がいい。朝からすてきな言葉を発見すると一日が楽しくなる。清少納言の枕草子を読んでいたときは、これは平安時代のOL日誌だと思った。 殿上人にもドジな風雅を解さない人がいて、みんなしてその人を物笑いにするのだが、これは無能な上司をいじめるのに似ている。 スタインベックを原語で読みたいと思っていたら、英語の先生が短編集の The Long Valley を貸してくださった。宿題をもらった生徒のように緊張する。
■1999.5.28
朝会社に行くと、うれしい手紙が届いていた。この一週間、あちこちにメイルを出してお願いしていたことがほぼ満たされた。夜はお別れ会。久しぶりに懐かしいメンバが顔を合わせる。ぐるなびで見つけた店は、味よし、雰囲気よしで幹事の面目をほどこす。みんなで渋谷駅までの信号を走って渡って、ギャーギャーと騒ぐ。この人たちとは、十年来の付き合いだから、また、みんなで会おうということになった。会社よりも、その人本人の魅力で人は集まるようだ。 来週からはまた忙しくなるが、週末はゆっくりして、頭を空っぽにしたい。
■1999.5.27
少し早く会社を出て、銀座にいく。木村屋のバゲットはめったに手に入らないが、なつかしいパリの味がする。ここのヨーロッパのコーナーにあるパンはどれもおいしい。レカンで洋梨のタルトと、チェリーパイを買って、歌舞伎の切符を引き替えて、四丁目まで歩く。こういう生活は、有閑マダムというのだった。欲しいものが好きなだけ買えるのは幸せのようで、あとが大変。買ったものをどこにしまうのだろうか。雨が上がっていてよかった。 この頃、努めて銀座に立ち寄るようにしている。6月からはオペラの講座に通う予定。忙しさの中に、ほっとするときがある。
■1999.5.26
電車の中で、枕草子を読んでいる。本文の引用とその解説がよい。平安時代も今も、人の心や行動はかわらぬものらしく、いちいち頷けるところがある。この頃の花見は、桜の木の下にござを敷いて宴会するのではなく、花の付いた桜の枝を壷にさして鑑賞するのである。深窓の姫君にはそれで十分、春を感じることができたのだ。それから鶯も庶民的な鳥で、貧しい民家ですら鳴くのに、竹やぶの多い宮中では決して鳴くことがなかったという。 十一時過ぎてELPを聴く。
■1999.5.25
なかなか帰れなくて、電車を何本も見逃してようやく戻ってきた。家で過ごす時間が極端に短いとストレスが溜まる。早起きした分、夜はゆっくり食事して、本を読んで、溜まっていたメイルに返事して過ごしたい。こんなときは、ELPを聴いて心を慰める。 何かを始めようとして、無限ループに迷い混んでしまうときがあるが、今日がそれだった。明日になれば、もっとよくなるだろうと信じて休む。
■1999.5.24
月曜日は朝から雨。天気の周期が変わってきた。短い会議が二つ。月曜日から飛ばしていると、一週間が続かない。雨をいいことに、久しぶりにゆっくりと夕食を取る。玄関先に出してあるバラの鉢植えに小さな蕾を発見。あんな過酷な引越しにもめげず、雨にもめげず、花を咲かせることを忘れないなんて優秀。
■1999.5.23
早起きして、洗濯をする。日曜日の朝、眠っているのが惜しいような上天気。ウグイスのさえずりで目を醒ます。緑の野菜をたっぷり求めて、食卓に並べる。ツルナという植物は、茹でてもぼてっとした感じで柔らかく味わいがある。こんな日は浅葱と胡麻を散らした京風うどんが似合っている。つゆも醤油は控えめにして、出汁をとって作る。美味しいものを食べて、すこし午睡して、帰る支度をする。陽の当たる部屋で心地よく風が通るのでいくらでも眠れる。おやつに食べた焼クリームは稀に見る旨さだ。
■1999.5.22
こどもたちのピアノの発表会で、進行を手伝う。人前で話すのは、やはり緊張した。これもいい経験。夕方から、館山に向かう。先週、日帰りだったので、今回は読む本もどっさり積んで出かける。汗ばむくらいのよい天気なので、反対車線は混雑していた。今頃、観光地に向かう人もいないので、こちらは空いている。Mac用の外付けCD-ROMに音楽CDを繋げて、ELPを聴く。館山には頭脳改革一枚しかないので、こればかり繰り返し聴いていた。猫も二匹洗ったし、充実した一日だった。
■1999.5.21
渋谷で食事会の下見。店の外に出ると、風にあたって気持ちがよい。夜の町を歩くのは久しぶりなので、周りを見渡してしまう。渋谷でも駅からちょっと離れたところには、手ごろなレストランが集まっている。本社に移ったことだし、新しいレストランを開拓するのもわるくない。おいしい店をいくつも知っている人を尊敬してしまう。やはりグルメと言われる人は、それなりに勉強料を払っている。今日のメニューのいくつかは、さっそく家でも取り入れてみようと決めた。
■1999.5.20
新橋から銀座を歩く。銀座はおとなの町だ。あちこちにブランド直営店ができていた。ブルガリのショーウィンドに貼り付くようにして若い女性が中を覗き込んでいる。あなたには、まだ若すぎる。もっと、物の価値が分かるようになってから、身に付けても遅くない。宝石類は愛に満たされない人にも夢を与えてくれるものだから、若いうちには必要無いはず。時間があったら、伊東屋にもよってみたいと思う。レターセットの見本や、シャレた手帳など見ているだけで、優雅な気分になれる。家に帰ったら、ひどく疲れていた。ハイヒールでの銀ブラはもうやめよう。
■1999.5.19
朝から雨。夜半には暖かくて湿った風に変わる。一日、オフィスに籠って暮らしている分には、季節の変化に気付かない。 ある日突然、着ているものがそぐわなくなったり、羽布団が重く感じたりして、季節が変わったことを知る。猫も丸くなって眠っていたのが、板の間に体を横たえているから、暖かいのだろう。 挿し木にしたバラがなんとか根付いたようだ。今年、花を咲かせるのは無理でも、来年がある。すぐに成果を出すことしか要求されない毎日で、のんびりと来年の楽しみを見つけるのは嬉しい。明治学院大学で公開講座を開催するので、はがきで申し込む。当たるだろうかと、こういう待ち時間が好き。
■1999.5.18
午後少し早めに帰って、青砥慈恵医大まで叔母を見舞いにいく。品川から、京浜急行・都営地下鉄・京成と乗換え無しで行けるのが不思議。雨が今にも降りそうなのに、日傘をもっての外出はおかしかった。叔母は案外元気そうで安心した。明るい時間に町を歩くと発見がある。手焼きせんべいの店を見つけたので、今度くるときには寄ってみようと思った。 西鶴と近松は似て非なるもの、西鶴の小説のもつ、闇は長く止まっていたくない。小説には虚無も必要だろうか、どこかで救いがないと、読者は精神分裂に陥ってしまう。
■1999.5.17
月曜日は早起きして、東京Bayを眺めながら出勤する。海の色がきれいだ。東京駅にはこのところ修学旅行生が毎日集まっていて、賑やか。あの中には初めて東京に来た子もいるのだろう。朝は爽やかなうちにメイルを読んで、会議の準備して過ごす。一日一善、今日はなにができただろうか。西鶴の小説は午後の社会の授業のように睡眠を誘う。帰りの電車の中でこっくりしてしまった。新しい本を読んで、昔のCDを聴くのが日課。
■1999.5.16
二ヶ月ぶりで図書館に行く。引越しして、徒歩二分が五分くらいになっただけなのに、遠く感じるのはなぜだろう。【西鶴の小説・ぬけ穴の首 廣末保著作集】、【坂口安吾全集03】、【ブレヒト戯曲全集4・ベルトルト・ブレヒト著】を借りてきて、午後ゆっくりと読む。カキの種を片手に本を汚さないようにして、坂口安吾の夢か幻のような物語を読んでいると、古い農家の縁側でなまりのあるおばあさんの話しを聞いているような気分になる。ぜったいにクッキーじゃなくて、カキの種なのだ。ブレヒトは難解だと敬遠していたが、愉しい。どこかの実験劇場でこれを上演したら、役者はだれかふさわしいかと思いをめぐらす。こんな優雅な午後を過ごせるのも、昨日一日分の料理をしておいたから。家事は手抜きして、楽しくやるのがいちばん。
■1999.5.15
思うことの半分もできなくて、とりとめのなさの中に真実がある。休日の予定はいつも予想外の出来事に占められてしまう。ひさしぶりに千倉の潮風王国を訪れた。ここは採りたての新鮮な魚が安い。アジとトビウオを購入、近所に配って、アジのたたきを作る。バター焼き、ひと塩と料理していただく。新鮮な魚は身がこりこりとしまっていて美味。素材がいいと料理の必要がない。土曜日だというのに11時に就寝。
■1999.5.14
電車の中で最近、本を読みはじめた。MDで語学学習はいいと思うが、音楽を聴くのは苦手だ。リラックスした姿を他人にさらしたくない気がする。わたしにとって音楽を聴くというのは、ひとつの儀式で気持ちも集中させたい。通勤の細切れの時間に短編を読んで、他人の人生がずっと身近に思えることがある。うまくいえないが、ごくたまに、この人の考えていることを、自分も考えたことがあると驚くのだ。だれも語らないが、だれもが考えていること。それに気付くと夢中になって、読み続けてしまう。金曜日の夜はELPをたっぷり愉しむ。この音楽を一日中かけている喫茶店をやりたいなと、真面目に考える。
■1999.5.13
Webを始めてからたくさんの友だちが見つかったが、その人たちに共通することがある。70年代にロックを聴いて、それからすっかり忘れていて、また90年代になって、聴きはじめたというのだ。持っていたレコードを処分し、二度と聴くことはないと思っていたのに、わたしのもそのひとりだが、仲間がいることを知り、励まされてまた聴きはじめた。インターネットの発達は、学術研究者、政府関係者だけでなく、音楽をするひとたちにも福音を与えたことが大きい。自分で作った曲を手軽に公開できる技術は、今後も開発が続いていくだろう。人が組織の1つの歯車ではなく、個としてなにかを発進する。こんな魅力的なことを知らない人がまだまだ多いのも驚きだ。
■1999.5.12
時間がたりない。何かを始めようとするとそれが初めての試みなのに気付く。だれもできなかったのか、単に面倒だったのか、こういうときには、社内のネットワークが役に立つ。朝八時にオフィスに座って、メイルを書いているのが当たり前になってきた。早朝はだれも邪魔をしなかいから、とりあえずよい音楽を聴いた余韻のようなものが残っている。元気が出るように気分転換に短編集を読んでいる。山の手線のホームでパリの香りのする一遍を読んで、ひとり微笑んでいるのは、かなりあやしい。仕事のひとくぎりが付いたので、冷蔵庫を譲り受けてきた。これで冷たいものがいつでも飲める。ちょっとした楽しみを見つけて、人と共有すること、仲間になること。
■1999.5.11
有楽町まで、ネットワーク・ソリューション・セミナーに出かける。有楽町マリオンには劇場のようなホールがある。なかなか興味深い話だったが、メモをまとめないとすぐにわすれてしまうだろう。銀座を明るいとき歩くと、ほんとうにきれいな町だと思う。丸の内や大手町より華がある。五時すぎに終わったので、レカンのケーキを購入。木村家でおいしいパンも買って急いで帰った。ここで昔は映画をみたりしたのだと思うと、今の生活は健全すぎる。明るいうちに家に帰って、ゆっくりしたいと思うのは時代のせいだろうか。バブルの最盛期には毎晩、食事会があって、みんな美味しい店リストを持っていた。
■1999.5.10
月曜日にオシャレして会社に行くのは楽しい。引越しの準備や片付けで、このところカジュアルウェアだった。今日はスーツで早朝出勤。朝は英語の勉強にあてている。 午前中の会議が延びて慌てて昼食をとり、ばたばたと過ごす。近くにいるだけで、人が頻繁に訪れるようになった。丁寧に相手をしているとすぐに夕方になってしまう。ビジネスパーソンはMonday Nikkeiに限る。 必要な情報が満載でむだがない。紙の新聞は読まない生活だが、月曜日はわざわざ駅で日経を買うことにしている。
■1999.5.9
日曜日なのに六時には目が覚めてしまう。館山は鳥のさえずりで朝が訪れる。カワラヒワが三羽来ていた。昨日作ったイカの一夜干しはなかなか美味。浅利の味噌汁にうずらの目玉焼き、厚切りパン、それに濃いめにいれたコーヒーの朝食を取りながら、今日の予定を確認する。近くに住む恩師のパソコンを覗いて、インターネット教室を継続する。初心者にWebの楽しさを教えるとき、なにに重点を置いたらいいのだろうか。amazon.comには感動していた。検索エンジンが使えるようになれば、欲しいものが手に入る。
■1999.5.8
家族で墓参にでかけ、三越のB1で母の日プレゼントを購入する。おとなになるにつれて、予算はあるのだが、選択する商品が限られてきた。高齢化時代の訪れというべきか。自分自身、欲しいものがすぐに浮かばない。プール付きの二十室ある豪邸とか、運転手付きのジャギュア、ベニスの眺めのよい別荘なんて夢はあるが、現実を振り返って、これぞというものがないのだ。欲しい物だらけのこどもが健全なのか、なにも欲しがらないこどもが自然なのか、わからなくなる。
■1999.5.7
金曜日で、気分は連休前。品川駅でホームに立つと、電車に乗って遠くに行きたい、と思ってしまう。 営団地下鉄に乗っている分には、そんなこと考えないから不思議。京急に鎌倉ニュージャーマンがあるので、ときどき立ち寄ろうと決めた。さみしい日はケーキと花を買って家に帰る、これは石川啄木の世界。 週末はまた館山、もう生活の一部になっている。とくに仮住まいの毎日では、心の静養が必要だと思った。ロンドン住人のすてきなサイトを発見。イギリス好きの人必見である。
■1999.5.6
連休の谷間なのに電車は混んでいた。引越しの荷物を片付けて、知り合いに挨拶して一日が終わってしまった。五年ぶりの本社はうれしいが人が多すぎる。通勤のお供に The Women's Room を読む。もちろん日本語版。品川駅の変貌に驚く。京急でお買い物できるのが楽しみ。
■1999.5.5
暑いくらいの快晴。朝から焼き立てのホットケーキを食べて、連休最後の一日を過ごす。天気がよいので、網戸を拭き、電子蚊取りを用意して、夏に備える。窓を開けたら、風が入ってきて気持ちがいい。久しぶりにあちこちのwebページを訪問して、のんびりと過ごした。やりたいことはまだ残っているが、とりあえず静養になったと思う。映画の愉しさも思い出したし、ELPもこれでもかと聴いたので満足。
■1999.5.4
雨なので本屋さんに行って、あちこち雑誌を眺めてきた。ELLEが10周年記念号を出しているが、このパリコレ特集が秀逸。80年代後半から物事の価値観が大きく変わったが、ファッションもしかり。世の中の変動はすわなち生き方をも変えてしまったから、流行も敏感に時代を反映している。この十年間、ファッションをひとつの軸に眺めてみると、また違った発見があるようだ。
■1999.5.3
カツオの手こね寿司に挑戦。これが意外に簡単だった。レシピは次のとおり:

■材料4人分:  米三合、みりん大さじ1、合せ酢(酢大さじ4、砂糖大さじ4、塩小さじ1)+白ごま 大さじ2、 かつおのたたき300g、つけ汁(みりん大さじ3、醤油大さじ3)、青じそ5枚(三つ葉があればなお良い)、錦糸卵または、厚焼き卵を切ったもの。 ■作り方: かつおをみりんと醤油に30分ほどつける。 米を洗い、30分ざるに置く。みりん大さじ1を加えて、水加減して炊く。たきあがったご飯に合せ酢と白ごまを混ぜる。うちわで扇いであら熱を飛ばす。 かつお半量をごはんとまぜあわせ、残り半分を上にかざり、青じそと錦糸卵を散らす。
■1999.5.2
連休は館山でゆっくり過ごすのが昔からのお約束。十年以上前に買ったインテリアの分厚い本を持って出かけた。英国式のインテリアは年月に色褪せない。どこも連休のせいで大変な混雑だった。こういうときは、地元のB級グルメに限る。パン屋さんも売り切れだし、スーパーのレジは長い列。新鮮な野菜を手に入れて、ごちそう三昧の日々を送る。生クリーム大福を各種求めて食べ較べをした。地元の銘菓も楽しい。
■1999.5.1
今日は映画の日。毎月一日が映画の日だったことを初めて知る。今日封切りの朝一番の回に出かけた。こんなとき、歩いていける映画館があるのは嬉しい。千葉県丸山町にはシェイクスピアの住まいと劇場を忠実に再現した記念館があるが、映画の中の劇場がこの大きさなので感激した。生き生きした人間の会話を聞いていると、さっそく自分もまねしてみようと思う。三千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい、の世界である。
■1999年4月■3月■2月■1月
■1998年12月■11月■10月■9月■8月■7月■6月■5月■4月■3月■2月■1月
■1997年12月
■11月■10月