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いまのデジタル日記にもどる

■1997.11.30

きのう叔父から電話があって、従妹に男の子が生まれたという知らせがありました。どんな顔しているのかはやく見てみたい。赤ちゃんの誕生はわくわくしますね。わたしには19人の従姉妹・従兄弟たちがいますが、日頃から親しくしているのは、5人くらい。法事などで一族が集まるともう大変です。いとこの子どもは、どれも似ているので、製作担当者の予想がつかない。それに親の方は変わらないのに子どもの成長でおたがいの歳を感じたりといろいろです。


■1997.11.29

学校を卒業してから、試験のための勉強はなくなったが、かわりにレポートや企画書を書くために調べものをすることが多い。人から指示されずに自分の考えでまとめればいいのだから、本来は楽しいはずである。最近になって英語の辞書を引くことが多くなった。Webの中では英語も有効な手段になる。英語の学習にはいろいろあるけれど、好きなジャンルの知識の獲得が目的になると、愉しい。Stonesのサイトに行って、ちらっと中身を読むには、ある程度の語学力がいるが、それは言葉を知るというよりは、新しい国を旅するくらいの発見である。いまのところ、フランス語や、イタリア語のサイトになると、辞書を片手にため息をついているが、どうしても、この国を知ってやるぞという意気込みはある。ファッションの最新動向はやはりVougeよりもElleの仏版が早い。調べた単語を並べて、画像を見比べ、ふむふむと納得している。


■1997.11.28

きょうは友だちのコンサートが開かれている。あとで音源を聞かせてくれると言う話だが、Web友だちは多才で、日頃出会えないような、すばらしい人がたくさんいる。自然と知り合いになってしまったが、こんな経験は初めてのことでわくわくする。一通のemailから出会いが生まれ、恋人になったりもするらしい。きのうオノ・ヨーコさんのアート作品の一編に返信したら、今日、それがWebに載っていたのを見つけて嬉しくなる。こんな何気ないコラボレーションができるのも、Webの魅力である。


■1997.11.27

きょうは、幕張メッセで開かれているDigitalmedia Worldにでかけて、たくさんの発見があった。 "マルチメディアグランプリ受賞作品" の中でオノ・ヨーコさんのアート作品 があって、これがとくに印象的だった。彼女の詩(空を見なさいなんて命令調の詩が一日一編づつ用意されている) 百編を読んだ読者がCDの中に付いている"返信"という機能を使って、感想を書いてメイルを出すと、それがWeb上に掲載される。参加したものは、他の人がどんな感想を書いているのか見ることができるし、ある言葉を検索して、オノ・ヨーコさんがどの言葉を多く使っているのか見ることもできるし、ほかの人がどの言葉にいちばん多く反応したかも見ることができる。これは、日本語、英語の両方で詩が提供され、日本から400通、全世界から1600通もの参加メイルがあったそうだ。午後の凸版印刷(株)のイメージモールジャパン(デジタル画像の預託運用ビジネス)の話もよかった。すでに徳川美術館源氏物語絵巻がデジタルデータになって参加しているという。将来は、これら貴重な美術品のデジタルデータをもとに電子美術館をつくる構想もあるらしい。


■1997.11.26

きょうはたくさん仕事をした。朝できなかったことが、夕方にはなんとか完成してほっとしている。考えると、Webの中身をどう表示させるかで、いちばん神経を使っている。 睡眠が十分でないと新しい企画が生まれないし、もう一頑張りというところで挫けてしまう。反面、Webに関するアイデアが浮かぶのは深夜のことが多い。そんな矛盾をみんなどう解決しているのか。とりあえず、週末に寝だめをしているが効果はあるのだろうか。


■1997.11.25

きょう11月25日は三島由紀夫の日です。1970年11月25日、ライフワーク長編『豊饒の海』最終章「天人五衰」完結の日、「楯の会」学生長森田必勝ほか3名の同志と、東京市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部に至り、自衛隊の覚醒と決起を促すも果たさず、「天皇陛下の万歳」を三唱して古式に習い割腹自決。時に午後零時15分。森田また介錯後これに従い殉じる(25歳)。「檄」「辞世二首」。翌日、自宅で密葬。戒名彰武院文鑑公威居士。その日、修学旅行先の京都の旅館でこのニュースを知りました。生意気盛りの高校生だった同級生も、みな食い入るように、大きなテレビ画面を黙って見つめていました。わたしの知ってる三島由紀夫は、自衛隊に入ったり、ボディビルをしたり、楯の会を結成したりと、とにかく華やかで目立った存在でした。流行作家のきまぐれくらいにしか、そのときは考えていなかったので、この事件の後、いろいろと本を買い集めて、読み直しました。ノーベル文学賞の候補になったこともあったのですが、若すぎるという理由で選ばれませんでした。存命であるなら、このインターネットの海をどう航海していたでしょうか。聞いてみたい気がします。関連サイト: 三島由紀夫 Cyber Museum


■1997.11.24

連休を利用して、海の町に来ています。いつも寄る千倉の八百屋さんで買い物をしていると、千葉ナンバーの車が止って、中にいるサーファーカットの若者から、九重駅にはどう行くのかと聞かれました。 九重駅は、JR内房線の無人駅で、電車も一時間に一本くらいしか止まりません。不思議に思っていると八百屋の奥さんが、教えてくれました。 《ビーチボーイズってテレビあったでしょう、そのとき九重駅で撮影したのよ。あそこなら、邪魔が入らないからといって、東京から撮影隊がきたのよ。でも、海とは全然関係なくて、みんな見にいくのだけれどあそこにはなにもないのよ。海のシーンは布良で撮影したのだけれど、みんな九重ってどこですかとよく道を聞かれるのよ。》わたしもこの番組ときどき見ていたけれど、あの駅が九重だったなんて、全然気が付かなかった。さっきの人も立ち寄って、きっと記念撮影でもしていると思います。


■1997.11.23

きのうから、新しい物語を書き始めた。なぜだか大阪方面にすむ友だちが多いので、今度は大阪を舞台にすることした。大阪弁は聴いていて、なるほどと思うのだが、いざ自分が使う番になると言い回しに苦労する。 昔のことだが、東京弁を大阪弁に変換するソフトの話をみんなでしたことがある。 英語の翻訳版があるのだから、大阪弁のバージョンがあってもいいはず。ただそのとき、船場版、河内版、吉本版などの各種カスタマイズされた言葉が必要だという話になった。言葉というものは、生きているし、変わっていく。また、話す状況で優しくもなり、きつくもなる。あほやなあという言葉も好きな人から言われると嬉しくなったりする。大阪の話を書いていたら、マヨネーズを掛けたモダン焼きが無性に食べたくなった。


■1997.11.22

長篇集イタリア組曲を書きおえた。あとがきにも書いたが、自分のまわりで起きた煩わしいことを忘れるため、この物語に没頭していた時期があった。 時間に縛られ、仕事に埋もれながら、旅をしたい、もう一度パリに行きたい、ベニスのモーターボートに乗りたいなどという願望が、この話を書く原点だったような気がする。毎日の生活の中で、旅する心を失わないためには、努力が必要だ。音楽をきいたり、本を読んだりすることも、ある意味で心の旅をしているのかもしれない。


■1997.11.21

わたしが物語を書くとき、全体の構成はとくに決めていない。最初のところができると、取りあえず書き始める。書き始めたら、まわりで起きた出来事や、感じたことをできるだけ素直に表現しようと努める。そうしているうちに、登場人物が勝手に動き出すことがある。自分でも意図しないような発言や行動に走るのだ。そこで、書き手はおろおろしながら付いていくということになる。長篇集に載せたニューヨーク物語では、ロック・ミュージシャンが主人公として登場するが、長いことなぜ、そんな設定にしたのか自分でも不思議だった。 それが、思いがけず、ロンドン日記1974を書いてみて、自分でも忘れていたことを思い出した。あの頃、毎日のようにブリティシュ・ロックの洗礼を受け、頭のどこかにミュージシャンのイメージが焼き付いていたに違いない。そんなことも長い間にはすっかり忘れていたのである。


■1997.11.20

昨日のことです。深夜、急に思いたって新しいドメイン名を取ることにしました。場所はNiue、南ポリネシアの島です。なぜ、ここに決めたかというと、このドメイン名(nu)はどこの地域でも使えるからです。知り合いの方で すでに e.nu とか、i.nu(犬)とかお取りになっているので、短くて楽しそうだなあと思っていました。うちでもいろいろと検討した結果、ki.nu(絹) という文字がいいと決まりました。費用は5年間で百ドルです。このドメイン名を使うと、fumi@ki.nu(文、来ぬ) なんて遊びもできます。時差の関係で申込み受付日が誕生日と重なり、すてきなプレゼントになりました。

Special thanks for Ayamura, Shudo, and Nishimura san.

■1997.11.19

きょうは、自分の誕生日。会社のMac OS 8 に誕生日の設定をしておいたおかげで、再起動するたびに、画面にHappy Birthdayの文字がでるのには、参った。 今日はいちにち、いろんなことがあったような気がする。午後、あるソフト・メーカのユーザ事例紹介という、インタビュー付のビデオ撮りに参加した。これが10分くらいに編集されて、展示会などで流れることを考えると、おそろしい気がする。仕事とはいえ、初めての経験なので、終わった後にはどっと疲れてしまった。夜になって、いろんな人から、メイルをもらい嬉しくなってしまう。友だちっていいですね。


■1997.11.18

高校時代の同窓会があるので、久しぶりに友だちと話をする。ふだんは、会うことのない人たちだが、話していると、ニ十年くらい一気に飛び越えて、高校時代の気持ちに変わってしまう。米国にいるはずの人が日本に戻っていたり、明日からサンディエゴに出発する人がいたりして、面白い。同窓会のホームページを開設するのもいいなあと思っている。短編集を一つ追加した。


■1997.11.17

サッカー、長かったがようやく勝てたという実感。深夜までテレビを見ていた人がいたせいか、午前中は電話が少なかったような気がする。会社での話題もこれ一色だった。 "日本、悲願のW杯初出場(朝日新聞)" なんかみると、余計楽しいかもしれない。朝日新聞をみていたら、ストーンズの来日決定の話が出ていた。ストーンズ関連サイトなんて、セゾンもやるじゃない。この際、チケット・セゾンのメンバになろうかしら、でも電話での予約ってうだったいのも事実。もう少し様子をみることにする。なにしろ、二十数年前に、初来日するストーンズの予約券を手に入れるために、澁谷で徹夜して並んだことがあります。あのときは、予約券を九枚も手に入れて、友だちのところへ電話をしまくって、ぞくぞくするほど嬉しかったけれど、いま、そのままの気持ちでいるかというと、自信がない。


■1997.11.16

メイリング・リストを開設した。詳細はここをクリックしてください。最初に手紙をお送りした方は驚かれたと思います。深夜の訪問者になってしまって、ごめんなさい。


■1997.11.16

わたしの家の道一本前に県立中央図書館がある。月曜日が休館日で、毎日19:00までOpenなので、仕事が早く終わった日は、図書館にいって、新刊コーナーをチェックすることにしている。実はもう本棚を置く場所がなくなって、本は借りて読もうと決意したのに、わたしだけがここで気に入った本を見つけては、注文するということをくり返している。

最近おもしろくて購入した本:   広告批評傑作大会 マドラ出版 定価3200円 

広告批評の別冊で1988年1月号から1996年12月号までの百冊の歩みを一冊にまとめている。そういうわけで登場する人が信じられないくらい広範囲。日本のマスコミに登場する著名人はほぼみなカバーしているといってもいい。糸井重里・吉本隆明にはじまって、宮沢りえ、千葉麗子なども登場する。


■1997.11.15

澁谷まで、オペラ"フィガロの結婚"を見に行く。会場がヤマハ・エレクトーン・シティだったが、なかなか見つからず、ついに寿司屋の出前のお兄さんに教えてもらった。中身は、想像していたよりずっと充実していた。通常のオーケストラの替わりに、二台のエレクトーンで演奏するのが違うだけで、出演した歌手はすばらしい声をしている。

配役:  フィガロ(細岡 雅哉)・アルマヴィーヴァ公爵(佐々木 憲二)・マルチェリーナ(青木 素子)・スザンナ(黒川 みや子)・ロジーナ公爵夫人(木村 弘子)・ケルビーノ(高柳 佳代子)・バルトロ(大久保 光哉)・ドンバジリオ/ドンクルチオ/狂言回し(永井 祟多宏)

途中に一度、十分の休憩を挟んだだけで、ずいぶんカットして、見せ場だけをまとめて二時間に集約している。狂言回しの解説がうまいので、全体が違和感なくつながっていくのはさすが。 話は台詞は日本語だが、歌はすべてイタリア語になっているので、音楽的にも申し分のない構成である。また、舞台のとなりに字幕ボードが提供されているので、日頃わからなかった台詞も今回は明瞭にわかった。こんな小ホール (200名)でのオペラ・コンサートもいいなあと思った。この切符は、インターネットで応募して当たったもの。http://www.tvz.com/opera/ 会員になると中にアクセスできる。料金は無料だが、会員番号とパスワードをメモすることが必要になる。


■1997.11.15

今日からデジタル日記を航海することにした。いま考えていることをできるだけ素直な気持ちで書いていこうと思う。それと、もうひとつ、今という時間を共有している人たちと、わたしの短編長篇について、みんなの考えていることをたがいに共有できるようなメイリング・リストを考えている。長い航海の中で、ちょっとした息抜きになれるように、努力していきたい。


■1997.11.1

グラフィック・コンバータを使って、写真をいじっているうちに、アートっぽくなってきたので、いっそ各ページごとに背景をつくったらどうかと思い付く。とくに長篇集の場合、背景の色が決まっている方が、途中から読み出すときにも役立つ。その話のイメージに合わせて作ることに決めた。