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■1998.4.30

今日で4月もおしまい。今年は仕事を片付けようと暦通り出勤している。なぜか同じような考えの人が多く、会社はいつもどおりの賑わいだ。今週から仕事の仲間たちが近くに引っ越して来たので、本当にたすかる、顔を合せてのコミュニケーションだと、つい仕事とは関係ない話もするが、それが貴重な情報だったりすることが多い。帰ってからはディープ・パープルに浸る生活。この落差が愉しい。しかし今70年代のロックを楽しめるのもWebの力が大きい。アーティストが精密なアーカイブを作ってくれているので、昔よりずっと知識が付いたような気がする。


■1998.4.29

すばらしく良いお天気で、かねてよりの懸案であった衣替えを実施する。いつもなら三月のお彼岸ごろ完了しているのに、今年は旅行に出かけたので延び延びになってしまった。さて、今年は例年と違いツェッペリンを掛けて衣服の整理をする。ご機嫌な気分で片づけをしていたが、やはり知っている曲は歌いたいし、Webで歌詞が見られたりするので、つい気になって仕事がはかどらない。それに加え、最近集め出したCDが買った順にいい加減に入っているのまで整理しようと決意する。発表順で暗記しているのはELPくらいだ。これを10枚組のCDカセットにいれると10枚を越えているので、次はディープパープルと組み合わせる。これが難問、In Rockから始めるか、やはりLive in Japanを前にもってくるかで真剣に悩む。その後、Yes, Rick Wakemanと順番に並べていたが、ツェッペリンになって挫折した。部屋の掃除やこの続きは土曜日にやろう。


■1998.4.28

今日も会社でお仕事。最近別のグループの引越しが完了したのに、新しい電話番号をだれも知らない。悲惨なのが国際電話が掛かってきたとき。同じフロアにいる相手を呼びに行っている。一方で4月28日、29日と新しいシステムのデモをするためにビジターが来るという話が飛び込んで来た。いまが黄金週間だということを知らせ、会議を4月30日に変更してもらう。この大型連休は日本国内だけに影響力を持つのだ。外資系にいると、知らず知らずクリスマスが年末のような感覚になってしまう。


■1998.4.27

花冷えとでもいうのだろうか。来週からは五月だというのに気温は13℃。つい二三日前まで、半袖のTシャツでも汗ばむほどだったのに、この変化をなんというのか。おかげで羽布団をまたひっぱり出して掛けて寝る。世間では連休が始まったらしいが、電車も普通に混んでいた。外資系は暦通りの出勤なので、ゆっくり仕事をしようと席に付くと、電話もかなり掛かってきてちっとも集中できない。いまの半分くらいの人数だと快適なのだが、そうもいっていられないところが浮き世の義理だろうか。


■1998.4.26

気象の本を調べたら、今日の干潮は10:24で10cmとあるので、さっそく那古海岸にでかける。家から車で15分くらいだが、引き潮のときは、小島まで歩いて渡れるし、おだやかな海なので磯遊びに最適だ。海岸は思いのほか風が強いので、いつも二枚くらい余分に着込んで出かける。冬の間は、なぜか干潮の時刻が夜中だったり、70cmくらいだったりと磯遊びができない。しばらく海に立つということをしなかった。ときどき荒れ狂う大平洋の波を見たくなるが、ここは足元にひたひたと寄せる波と遠くの灯台などの景色を楽しむところ。やどかりやはぜなどを捕まえたり、遠くの漁船や島影を見ながらカスタードケーキなんか食べていると、こんなにゆっくりしたことは久しぶりだと気付く。いつもせいぜい一時間くらいしか遊ばないのだが、磯の香りと新鮮な空気を思いきり吸って、食事の時間が待ち遠しいほど。


■1998.4.25

小雨が降る中、いつもの館山に向かう。木更津から川崎にいく途中にある海ほたるは今日も満車のサインが出ていた。こんな天気なのに大勢の人が出かけているのだと驚くが、自分たちも館山まで行くのだから、そんなに変わりがないか。久しぶりに国道410号を通って行く。これまでは途中に車がすれ違えない山越えがあったりして、大型車禁止の地区もあったが、今ではすっかり道路が整備されて気持ちよく運転できるようになった。三芳村の土のめぐみ館でくこの葉を見つけて、さっそく茹でてみる。水でさらすと白い泡のようなアクがでるので、なんども水を変える。あとは細かく刻んでけずり節をたっぷりかけて、ぽん酢でいただくと最高。こういうのを自然の恵みというのだろうか。桃太郎トマトもたくさん買ったので、贅沢な気分に浸る。


■1998.4.24

今の時期、新学期を迎え嬉々としている人たちが大勢いるので、自分も何か習いたいと真剣に思う。だが余程の強制力がないかぎり続かない。自分が楽しんでいるうちはいいのだが、ふと一枚の絵をひらりとめくるように、何かが透けて見えることがある。すると途端に興味を失ってしまう。いつもではないが、人の思いがその心の塊のまま伝わって来ることがある。相手がなにを考えているかが見えてしまうのだ。先生を尊敬できないと、学習意欲が涌かない。と、いろいろ言い訳しながら、とりあえずNHKの仏語、伊太利語をまた始めた。


■1998.4.23

木曜日は不思議な解放感がある。昨日は10時半ごろ寝てしまったので、一日快調だった。明日は金曜日、おまけみたいなものだ。新しい仕事が始まり、打合わせで初めての人と会う。何年やっていても緊張する。この人とずっとうまくやっていけるかとチェックを入れ、何気なく採点する。仲良し友だちはたいてい仕事を越えて、たがいにサポートしているようだ。無理もいえるし、その分こちらも頑張る。ひとりではなにもできないから、協調して何かすることは仕事の基本である。この頃名刺交換のとき、emailを確認しあうことが増えた。たがいに忙しい相手ばかりなので、emailなしには仕事が進まない。


■1998.4.22

急に暑くなったので、Webページも軽くしようと思い立つ。九時前にお風呂に入って、デジタルカメラで撮った映像をjpegに変換する。わたしはスキャナーもPhotoshopも持っていないので、ここからがちょっと大変。いずれ総取り替えを予定しているが、その間も暑苦しいのは嫌なので変更する。いろいろと試したが、とりあえず白地に落ち着く。以前、夜中に思いたって、部屋の模様替えをしたことを思い出す。Webの方は力がいらない代わりに、センスが要求される。疲れているとうまく表現できないし、アイデアが思い付かない。


■1998.4.21

昨夜CDをしまうので本箱を片付けていたら、案の定、本を取り出して読んでしまった。《サイゴンから来た妻と娘・近藤紘一》。ずっと以前に買って、たしか読んだはずなのに、面白くて止められない。著者は1971年から75年5月までサンケイ新聞のサイゴン特派員だった人で、1975年4月30日にサイゴンが陥落するのを見届け、最後のサイゴン脱出便で日本に帰国した。わたしにとっては、もう一つの70年代である。でも不思議なことは、いま読んでも新鮮な驚きがあること。熟練した記者だから言葉遣いはプロだろうが、ここには優しさと哀しさと人の生き生きした感情が溢れている。新生されたサイゴンに行ってみたいなとふと考える。


■1998.4.20

Weekly Report を書くために慌てて一週間分のWebを更新した。並べてみると結構いろいろなことをしているのだと驚く。帰って来てから、勢いにのってCDを10枚組のカセットに移して、タイトルを書き込む作業に取り掛かる。おかげで机のあたりがすっきりした。LPにくらべてCDは場所をとらないのがありがたい。だが、本の間に紛れ込んでしまうとなかなか見つからない。二週間ぶりで、ようやく聴きたかったCDを聴いている。好きな曲をきく唯一の欠点は時間を忘れてしまうことだ。夜が更けて行くのも気にならずに、いつまでも聞き惚れている。


■1998.4.19

館山野鳥の森で開かれた山野草の観察会に参加する。朝起きたら曇りだが雨ではなかったので、急いでお弁当を作って出かけた。日頃よくバードウオッチングで歩く森の中に、照葉樹(一年中青々としている)のマテバシイの林があったり、徳川家の紋所のカンアオイというのは、薄紫の花が咲いて、それから茎と葉が上に生えている草木だと初めて知った。スミレだけでも何種類もある。草花のことならなんでもよく知っている講師は元校長で趣味が高じていまのような知識を得たらしい。さすが元学校の先生だけあって、話が上手でみんながいろいろ質問すると、時間など気にしないでじっくりと説明してくれる。途中大島展望台でお昼休みを取ったとき、パラグライダーがいくつも浮かんでいて驚く。朝10:00集合で15:00解散という日程で、合計五時間以上も山歩きをして充実感があった。


■1998.4.18

明日は従弟の結婚式と山野草の会があって、家族で別々に出かけることになっているが、お天気が崩れるらしい。毎日雨ばかりつづいて、うんざりしているのに週末くらい気持ちよく晴れていてほしい。館山ではちょうどこの頃、田植えをするけれど苗にはほどよいお湿りなのかもしれない。結局、この週末も衣類の入れ替えができぬまま終わってしまいそうだ。土日はネットから遠離った生活になっているので、たぶんたくさん眠れるだろう。


■1998.4.17

タクシーの運転手さんと盛り上がる。短い距離でも気持ちよく過ごしたいから、時候の挨拶くらいは必ずするようにしているが、それが話の糸口になってどんどん膨らんでいくこともある。今日の話題は病気と健康。街を歩いている人はみな普通に見えるが、病院で検査をしてみると必ず1つ2つは病気が見つかるというのだ。その証拠にこんな時代でも、病院だけはいつも混んでいて待たされる。なるほど、そうかと感心してしまう。人ごみといえば、ターミナル駅しか知らないが、有名病院の混雑ぶりはすごいらしい。デパートやスーパーの代わりに病院に通う人が大勢いるなら、この先の日本は危うい。それにしても健康だと自信を持って言える人は何人いるのだろうか。


■1998.4.16

会社の帰りに秋葉原に立ち寄る。本当に久しぶり。木曜日の夜のせいか混雑もなく、石丸電気で例のELPのワイト島(輸入版2780円)を発見。やっぱり高いと、手にとったが止める。CDの200枚連奏盤を見たが、一枚づつCDを立ててならべる形式になっている。こんな機械に大切なCDを注ぎ込んで、すべてを失うのは嫌だ。SONYではCDの10枚連奏盤を販売停止したときいてがく然とするが、気を取り直して3セットも買ってしまった。これで残りのCDもアーティスト順に並べ替えよう。まだ冬服もしまっていないというのに、CDだけは規則性をもって仕舞われているというのは、やっぱり変だ。生活のどこに比重が掛かっているのか、我家のエンゲル係数ならぬデジタル係数はかなり高い。探していたMDもようやく入手した。これで昔のLPをしみじみ聴くという話は遥かに遠くなってしまった。


■1998.4.15

新らしいことを始めるときの気構え、緊張感が単調な生活を楽しくする。街には新しい制服を着た学生や、若者が溢れているが、なんと生き生きしてとしていることか。新しい教科書や外国語の辞書の代わりに、新しい春の洋服を着よう。新しい色の口紅を付けたり、外国製の香水を試してみたり、新しいことをみんな始めよう。おとなにも、新学期があっていいと思う。わざわざ転勤や転属しなくても、自分自身の方法で楽しむのだ。いつもと別の経路で通勤すると、新しい発見がある。小さなことに喜びを感じる感性を大切にしたいと思う。


■1998.4.14

新宿で開かれているCiscoWave+Networkers'98にいってきました。Ciscoといえば、忘れもしない5年前、ここで受けたインターネットの仕組みがいまの仕事を作っているようなものです。毎年4月になると楽しみに出かけていますが、今回の目玉はあの慶應大学の村井純先生の講演を聴くこと。いつ話を聴いても本当に勇気づけられる。新しいことを始めるとどこにも事例がないからと、壁にぶつかることが多いが、ルールより先を走れとばかりに新しい試みを次々と展開するダイナミックな姿勢には驚かされる。インターネットに関する講座をいちはやくWeb上で公開しているのだ。この講座をまじめに取ったら実力がつきそうで怖い。


■1998.4.13

昨日開けたワインがおいしかったので、今夜は食事のときから飲み始める。とはいっても、アルコールはごく弱いので、顔がゆでタコのように真っ赤になってしまう。イタリアでは熱かったせいか、冷たい白ワインがおいしかった。ガス入りミネラルウォタ−を注文すると、ビーノはとワインを薦められる。ハウスワインと称する赤いキャンティも美味。脂っこいイタリア料理には本当にワインが合う。今日くらい蒸し暑いと、キリリと冷やしたワインがおいしいのは当然だろう。慌てて、ゆでたポテトをざくざく切って、オリーブオイルで両面を焦がす。これに辛子明太子を付けてたべるとワインに合う。まあ、月曜日だからとくに許されるメニューだろうか。一週間の始まりは明るく、陽気がいちばん。


■1998.4.12

春の恵みはおいしいものばかり。朝堀の筍や菜の花を湯がいて、さっと煮たものをいただく。ほろ苦くて、春の香りが口一杯広がる。南房総はどこよりも先に春がやって来て、そして、ずっと春のままのような気がする。若布とほうれん草の味噌汁や、ぶりのみそ漬などを食卓に載せて、頬張っているとしみじみ幸せだと感じる。久しぶりに嶺岡牧場にでかけて、白い牛を触って来た。頭のうしろを掻いてやると気持ちがよいらしく、ほかの牛もやってくれとばかりに寄って来る。そして、他の牛を掻いていると、最初の牛が怒って頭をぶつけて来た。撫でる人はいても、頭を掻いてやる人はいないのだろう。これも猫と暮らしているから、気が付くことかもしれない。嶺岡牧場も、いろいろと施設が充実してきて、観光地らしくなってきた。


■1998.4.11

ほんとうによいお天気。春が一度にやって来たような、あたたかな一日は嬉しい。ニューヨークのページを少し追加しました。久しぶりの週末なので、なにをしたらいいかとぎまぎしています。


■1998.4.10

久しぶりに仕事がはかどる。プロジェクトの関係者一覧を作ったが、連絡用にemailアドレスを入れることにした。すると同じ組織だというのに、三種類のメイル・システムがあって、そのうちの1つは日本語が使えない。全社でNS mail に統一することになっているのに、まだ入れ替えをしていない人がいるのだ。すごく不便。それで会議の開催案内は結局、英語で書くことになった。外人の上司もいることだし、仕方がないか。この分だと会議の議事録も英語ですね。でも、電話もあまりなかったし、気になっていた人とは連絡とれたし、たくさん仕事をこなして、やっと調子がでてきたところで週末でした。


■1998.4.9

昼休みの話題、郷ひろみの離婚で盛り上がる。なんといっても彼はアイドルだったもんね。理想のカップルなんて所詮夢物語なのだろうか。二谷友里恵はまだ33歳だから、いくらでも人生をやり直すことができるというのが大半の感想だった。女の方がたくましいのだろうか。潔い離婚と報道されていたのが印象的だった。


■1998.4.8

この時期、目黒川沿いの桜が見事だ。川の両側に咲いているのが、枝が広がって川を覆うように咲き誇っている。後は、JR四ッ谷附近の土手に咲く桜がすてき。昔、旦那とふたりして歩いてみたことがある。ちょうどよいところにベンチがあって、座ろうとすると先客がいた。どこももう若くはないカップルばかりで遠慮したことを覚えている。いまそのくらいの歳になって、改めて出かけてみたいなと思う。近くでは東工大の桜も見事。目黒から目蒲線にのって、蒲田まで行くあいだにお花見ができる。ただし、日中の空いている時間にかぎるが。今日はお釈迦様の誕生日。花祭りである。


■1998.4.7

今日は子供の入学式。学校から渡される書類の多さにへとへとになる。酒鬼薔薇事件をおそれてか、信じられないような調書を取る。心の悩みを調書に書くことを期待すること事態、無理があるのに気付かないのだろうか。娘の通う高校には公式・非公式の二つのWebページがあって、これを見比べるといろいろなことがわかって楽しい。本来なら春休み中に用意しておかなければならないことを、放ったまま暢気に旅行に出かけたので、毎日残業しているようなものである。体操服の名前つけや、ぞうきんを三枚明日までに用意などという細々した仕事が永遠に続くので、ELPを聴いて心を慰めている。70年代のロックがこんなに心に染み渡るとは思わなかった。


■1998.4.6

今日は歌舞伎座中村会四月大歌舞伎を見に行く。4月3日に引換え券を取り替えに行くと、二階だが花道の真上の桟敷が取れた。中村会というのは、中村姓を名乗る役者が一堂に会して公演するのだが、わりと当たり前の演目が多い。知っている歌舞伎をぼうっとした頭でみると確かに静養にはなる。何年か前にこの席で親友といっしょに梅玉が福助だったときの与三郎を見たことを思い出した。その友だちは亡くなってしまって、もう四年になる。歌舞伎座横の文明堂でどらえもんの三笠山を売っているが、それを食べながら観劇できるのも歌舞伎のたのしさだろう。飲食しながらも、筋はだいだい分かるものである。だから年配の人でも安心して付いていけるのだ。


■1998.4.5

館山は静かで、いつも気持ちよく眠れるのだが、今朝目が醒めたら、なんと11:47 a.m. きのう確かにはしゃいでいて、11時すぎまで起きていたのは知っていたが、ここまで寝てしまったのは久しぶりのことだ。そういうわけで、今日は二食しか食べられなかった。まだ、外国の時間で家族が生活しているような気がする。日本に帰って来て、何がおいしいかというと、渡り蟹の味噌汁が最高だった。湯豆腐もおいしいし、ほうれん草も削り節としょうゆを掛けて食べるのがいちばん。


■1998.4.4

今年初めてのJリーグの試合に行く。ジェフ市原vsジェビロ磐田。毎年2回は見ているが、なんといっても試合は生が楽しい。ぼんやりとよそ見をしているうちに、何点もはいってしまう試合はサッカーだけだろうか。四月だというのに外は寒そうだ。しっかり厚着して出かけることにする。帰りは館山まで足を伸ばして寿司やさんに寄るつもり。この試合、3対1でジェフ市原が勝ちました。地元チームが勝つと気分がいい。ジェビロ磐田は、ボールのパスが巧みでなんどもゴールに入れようとしたのですが、時の運がジェフにはあった。本当にいい試合でした。審判がたぶんイタリア人で、その裁き方がしゃれていた。


■1998.4.3

朝8:25のKLMで成田に到着。それから車で家に向い、荷物を置いて、午後から出勤する。二週間も会社を留守にしているとメイルが恐ろしいほど溜まっていて、それをチェックしていたら、午後の時間がまたたくまに過ぎてしまった。まだ頭の中が夢を見ているようで、現実とうつつの境がない。旅行の話は別項でゆっくりと紹介します。明日から週末なのが嬉しい。旅行していると毎日駆けずり回っていて、ぼんやりとするときがないのだ。


■1998年3月分
■1998年2月分
■1998年1月分

■1997年12月分


■1997年11月分
■1997年10月分