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■1998.7.26

月曜日からシンガポールにいる甥たちが家族でやってくるので、応接間のソファを移動する。部屋数は十分すぎる程あるのに、客用寝室がないのが日本の家屋の特徴だろうか。客間はあるが、泊まっていく客を想定していないから、プライバシーを確保することがてきない。1つのお風呂を共有し、1つの台所で料理を作り、一斉に食べる。家族同様という言葉は、案外このあたりから来ているのかもしれない。


■1998.7.25

移動するのに便利なノートパソコンが欲しくなった。久しぶりに秋葉原に出かけて、あちこち歩く。ソフマップで三年前に最高機種だったPowerBook 5300cを購入する。G3のノートパソコンはこの次に取っておくつもり。Macをニ台並べて、仕事するのも悪くない。ただLANカードは買っていないので、Webはまだ見ることができないのが残念。こういう衝動買いも珍しいのだが、ThinkPadにくらべて、滑らかで使いやすい。小さくてもMacだから、優しいというところだろうか。


■1998.7.24

休暇に入って、半日のんびり過ごす。持っていった雑誌は全部読んでしまって、厚い本を持ってくればよかったと後悔する。YESの先行予約を申し込んだが、ぎりぎりで間に合った。70年代のYESしか知らないので少し不安もあるが、会場が渋谷公会堂というのが懐かしい。


■1998.7.23

雨が思い出したように降っている。まだ東京は梅雨らしい。Webページを始めてまだ一年たっていないが、去年の夏をどうして過ごしたか、ぼんやりとしか思えていない。昔は夏が苦手で、陽に当たらないような暮らし方をしていた。涼しくなると歩き回って、本を読み、レコードを聴いて、でも外出はしなかった。いまでは会社というところがあるので、必然的に通っているが、暑いやはりと頭が働かない。文明と気温には相対関係があるのだろうか。


■1998.7.22

7/24から二週間ほど夏休みを取るので、締切りに間に合わせるため、家で珍しく宿題をやっている。会社だと集中して仕事できないので、ロックも聴かずに真面目にデータベースを構築中。こんなときファイルメーカーはありがたい。会社と家と同じソフトを入れているので問題なく進む。これってきっと在宅勤務だなあと、ひとりつぶやきながら、あと半分なので頑張ろう。それにしても日頃からおつきあいしているおじさま方は、みんな若い。


■1998.7.21

竹製の柄の長い房州うちわを見つけて、その軽さ、しなやかさに見とれてしまう。一本の細い竹を中程から削って、40本くらいに割って、それを1つ1つ糸でしばり、紙を張る。最近はプラスチック製のうちわしか見たことがないから、こういう本物をみると、昔の人の知恵に驚かされる。原料が軽いから長時間持っていても疲れないし、ほんの少し動かすだけで涼しい風が送られるのだ。昔、冷房などなかったとき、大切なお客様が来られると、扇風機とうちわで扇いで歓迎した。冷房の効きすぎたオフィスに一日中いると、帰って来て日本の情緒に浸りたくなる。もちろん蚊取り線香はあの渦巻きが好き。熱いお風呂で汗を流し、浴衣に着替えて縁側で線香花火をするとそれだけでいっぺんに日本の夏が始まる。わざわざ混雑したところに出かけなくても、都会の夏はそれなりに楽しい。


■1998.7.20

横浜まで花火を見にでかけた。久しぶりに総武・横須賀線に乗って横浜で乗換え、石川町まで行く。そこから中華街を散策しようとすると、いきなりぱらぱらと雨が降り出すので、慌てて桜木町に引き返す。花火大会は小雨決行と知らされていたから、ランドマークかクイーンズスクエアで食事して様子を見ようということになった。さすが横浜だけあって、どこもここも行列ばかり。桜木町の構内は人、人、人で身動きもできない。二時間前に着いてこんな混雑なので、中華街で遊んでいたら、とても近付けなかったとほっとする。花火大会は35階に特別席が用意されていて、眺めもよく極楽だが、ただひとつ欠点があって、それは音が聞こえないこと。ガラスにさえぎられていて、ときおりブルルという振動は伝わってくるが、あのズドーンという花火特有の爆発音がない。横浜の花火は色づかいがだんぜん素敵だ。量と質で圧倒される。どんな企業が協賛しているのだろうか。これまで見たことのないような、サングラスや、枝や葉まで表しているひまわりとか、色とりどりのフルーツの木が成ったりと芸が細かい。SOGO提供のミッキーマウスがなかったのはちょっと寂しい。最後に35階からの夜景をみて帰って来る。


■1998.7.19

筑摩書房から出ている《串田 孫一集・季節の手帖》を読む。わたしはずっと串田孫一は自然と対峙できる随筆家だと信じていたが、お茶目なところも、粋なところもあって、こんな人だったのかしらと印象を新たにする。この話は文学としての博物誌だろう。朝日新聞に連載が始まったとき、評判を呼んだと言う。そんな短いがきらきらした話が詰まっている本を風のよく通る部屋で読んでいると、自分が忘れていた自然との対話を思い出す。雨の音や、庭の草木に感動した日々もあった。谷川岳に登らなくとも、小さな虫から宇宙の神秘を発見できるような気がする。


■1998.7.18

ふだんTVは見ないのだが、BS11でジェーン・エアをやっていたので、最後までみてしまった。主演のシャルロット・ゲンズブールの抑制された、それでいてひたむきな演技に心打たれる。なんどみても名作だと思う。おたがいの心のひだまで入り込んで来る会話があり、真実の叫びがあり、魂の結びつきを感じた。イギリスののどかな田園風景と階級社会の中で生きて行く毎日が、ロンドンで暮らした日々に重なる。いまでは貴族のほとんどがその城と庭園を解放し、入場料をとって生計を立てていると聞く。相続税という近代社会が生み出した規則が、貴族生活の維持をいっそう困難にしているのだ。ダイアナ元妃記念館をつくってビジネスにしている貴族もいるではないか。


■1998.7.17

三連休の前に仕事を片付けなくてはと、やっている仕事を書き出していたら、当然終わっていなければならない仕事を思い出して、どきまきする。7/24からは夏休みを取っているので、実質三日間しか残されていない。本当におわるのかしらと自問して、いつもこうだったと反省する。締切りがないと仕事は始まらないし、困難がないと退屈してしまう。この仕事量の兼ね合いが難しいのだが、長い休みをとるとうまくバランスを保つことができるようだ。昨日のQuarkもおかげさまで、なんとか完成してノンブル入りの印刷を完了させた。サンタナを聞いて雨を吹き飛ばそう。


■1998.7.16

久しぶりにQuarkXpressを使って、館山の家の説明書を作った。夏の間、親戚の人が泊りに来るので、簡単な案内文が必要になる。ところがノンブル(ページ番号)の付け方を忘れてしまって、いくら印刷しても<#>と出てしまって、ページ番号にならない。コマンド#と押すのを間違って、ほかのキーを叩いていたようなのである。すると今度はコラムの間隔の設定が変更できなくて、何度も直そうとするのだがだめ。そうこうしているうちに二時すぎてしまったので、慌ててベッドに潜る。でも、悔しくて、なかなか眠れなかった。最近、WebページばかりでQuarkにはすっかりご無沙汰していたのが、いけなかったのだろうか。Macのアプリケーションは人任せにしないで、なるべく自分でテンプレイトもスクリプトも作るようにしている。QuarkとかPhotoshopとか奥行きの深いアプリケーションにはまってしまうと、時間のたつもの忘れて集中してしまう。


■1998.7.15

東京ビックサイトで開催されているJava Computing EXPO '98に出かける。晴海の展示会場というのはもう死語なのだとしみじみ思う。ビックサイトの真下にたつとちょっと宇宙から迷い込んだ異邦人の気分。ここにはいやらしい看板も派手なパチンコ店も消費者金融の店鋪もない。あるのは緑と整地された通路と、その先に見える海だけ。人が通るとセンサが反応して、いきなり噴水の水が吹き上げたり、まるで庭園美術館のようだ。その点、幕張メッセは最近ちょっと町らしくなって、うっとおしいこともある。生活の場からはるかに隔たったところで、真面目なセミナを受けると、内容が頭にしみわたる気がする。ちょっと賢くなったように錯覚するのが御目出度いところだ。


■1998.7.14

今週は外出の予定がずっと入っていて、手帳を持たない生活をしようとしたが、諦めて大型手帳を持ち歩くことにする。澁谷橋から天現寺にかけての明治通りは、相変わらず工事中で古家が突然壊されて、いびつな空き地が目に付く。白金通りの上品な町並みに較べて、このあたりの住人は騒音と埃くさい中、よく辛抱していると思う。都市というのは、劇場と、レストランとそれから盛り場が三要素だと教わったことがある。さしずめこの辺りは盛り場につづく街道といったところだろうか。


■1998.7.13

橋本さんの退陣とW杯のフランス優勝が同格に扱われるのも、なかなか趣深い。選挙が終わって、まだそのままになっている自民党のポスターでにっこりと微笑んでいる橋本さんには、予想のつかない結果だったのだろうか。投票時間が夜8時まで延びたおかげで、何年かぶりで選挙にでかけた人も多かったようだ。それにしても、W杯の異常な盛り上がり方というのも、日本チームが初出場したからではないか。四年前のW杯のことを覚えている人はさすがにいなかった。日本人は巨人軍の元川上監督のような管理野球には向いているが、個性豊かなひとたちを一つにまとめて、最高の力を発揮させることにはまだまだ遅れている気がする。これまでマイクロプロセッサはアメリカが設計・開発し、日本はメモリのような微細技術が得意だった。今後、どんな技術革新がやってくるか見当もつかないが、SONYがウォークマンを発表したように、世界をあっと驚かす発明をしてもらいたい。


■1998.7.12

涼しい朝にびっくり。昨日、Macの位置をずらしたので、細々とした片づけの続きをする。気になっていた台所の棚もきれいに整理して、圧力なべで玄米ご飯をたく。自然のめぐみを受けて、ゆっくりしているはずが、家の中の整理をしていて、普段とかわらない。買い物に出かけたついでに花火大会の日程をチェックする。館山の花火は、海岸のどこからも見えるので、混雑することがない。地元のひとたちは、ポンと言う花火の打ち上げる音を聞いてから、海岸に集まって来る。今年は8月8日の19:00から開始。雨だと中止だが、この何年か、中止になったことはない。かわりに八幡神社の祭りはいつも雨が降る。館山の夏は行事がめじろ押しで、ふらりと出かけても楽しい。


■1998.7.11

いよいよ夏がやってきた。館山では新鮮な野菜が手にはいるので、完熟トマトを山ほどオリーブオイルで炒めて、ぐつぐつ煮詰めて、トマト・ペーストを作る。そこにイカを入れれば海鮮スパゲティの出来上がり。浅蜊を入れればボンゴレ・スープになる。これにきゅうりの塩揉みと鱧かまぼこを食べていると夏の気分を満喫する。久しぶりに時間があるので、こちらもホットカーペットをしまって、ござを出す。雲行きが怪しかったが、結局昼間は雨は降らなかった。深夜大粒の雨の音であわてて、軒下の洗濯物を取り込む。明るいうちからお風呂に入って、食後に本屋さんをのぞき、夜は本を一冊読み切った。


■1998.7.10

今日から館山で週末を過ごすことになっている。雨が降ったせいか涼しくなって、西瓜を食べていると、なんだかそぐわない。週末は本を三冊もって読書三昧の日々。何があろうと、週末の気分は最高だ。忙しく過ごしたWeek Day があるから、気分を変えて新しい挑戦をする。暑さが和らいだので、少し頭が回転し始めた。数日前、仲良しだったWeb友だちが突然Web Pageを閉鎖した。そのお知らせを聞いてかなりショックを受ける。まだ一度も会ったことのない人だが、境遇や考え方がよく似ていて、嬉しかった。それがもう二度と会えないのかと思うと、胸が痛む。彼女からの手紙はいまでも宝物のように取ってある。こうやって、Webページを始めたことで、見知らぬ方から励ましの手紙をいただくことも多いが、思いがけぬ別れもあるのだ。


■1998.7.9

木曜日だというのにすっかり週末気分なのはなぜだろうか。暑い日が続くので、頭のどこかにリゾート地の風景が焼き付いていて、それが日常から滑り出てくる。あと二週間で夏休み。そのために締切りのある仕事をなんとか終わらせようと朝早くから頑張っているが、だんだん残り少なくなるカレンダーを見つめ、プレッシャーも感じている。会社の中は極寒で上着なしではいられないくらい。そのせいか良く眠れる。週末は、おいしいものを食べて、たっぷり眠りたい。


■1998.7.8

本を読む暇もなく夜が終わってしまう。活字中毒なので、生きるためには本を読まなければならない。これは酸素と同じで薄くなってから気がついては遅すぎるのだ。夏の午後、よく風の通る部屋に寝転んで、好きな本を読む楽しみのために、働いているような気がする。感動する本はめったになくて、でも良い本と巡り合うときは、最初の十ページくらいで分かる。そこにはもう一つの人生があって、わたしと同じような考え方をする人間がいて、語りかけ、優しくなぐさめてくれる。昔、ひとりだったとき、本を読むことは偉大なる時間つぶしだった。いまは、そんな優雅なことができないかわりに、ときどきみんな放り出して、本に集中するのだ。音楽もかつては生活の中心だったが、こちらもいまでは、朝の元気づけに聴いたり、夜ボリュームを絞ってひそかに聴いたりと、おでんの辛子状態。辛子がなくてもおでんは食べられるの論理である。大人になった分だけ、不自由なことも増えて来る。無邪気に大音響でロックが聴けた頃が懐かしい。


■1998.7.7

七夕なのにあいにくの曇り空。そこで俳句を一句楽しもう。暑い日に、冷房の効きすぎたオフィスで暮らしていると、季節感を無くしてしまいがちなので、ときどき歳事記をめくるようにしている。それにしても、今夜は眠いので早寝します。


■1998.7.6

今日は会社を早めに出て、歌舞伎座義経千本桜・夜の部を見に行く。猿之助の夜昼通し狂言だが、夜には、ご存じ"宙乗り"相勤め申し候がある。場内には外国人の姿があちこちで見られたが、猿之助の演目はダイナミックで退屈することがないからだろうか。毎年欠かさず見ているので、この芝居を見ないと夏が来た気がしない。演目では義経といっているが、実際には平家の公達、知盛・維盛・教経は生きていたという設定が伏線になっている。通し狂言を見てしまうと、江戸元禄歌舞伎の原点に立ち戻って鑑賞できるから、細切れになった演目が物足りなくなる。昔は芝居見物で一日中過ごしたらしい。途中に芝居小屋にたちよって、食事したり、お召し替えしたりとたっぷり楽しんだのだ。


■1998.7.5

知り合いの初デビューを見に吉祥寺まで出かけた。このあたり昔とずいぶん変わってしまって驚く。車を止めようとしても駐車場がなくて、30分も探してしまった。コンサートは楽しかった。生の演奏は本当に心をなごませる。Breathless では初めての曲もあったが、抑制のきいた美しいメロディが次々と出て来るのにうっとり。愛の渚のほうは知っている曲が目の前で再現されるのに感激。わざわざ出かけた以上に収穫のある濃い時間を過ごすことができた。日曜日の夜なので、打ち上げには付き合えなかったが、次回はゆっくりと話が聞きたいと思う。


■1998.7.4

土曜日の朝から、遊びに出かけるのは素敵だ。鴨川経由で館山に入る。これをわれわれは海回りと呼んでいて、この経路だと、鴨川でケーキ屋さんに寄って、それからずっと海を眺めながらドライブできる。朝から暑い分だけ、海の色もあざやかだ。風はないから、波乗りに来た人たちは手持ち無沙汰そうに海を眺めている。窓を開けて、磯の香りを楽しもうとしたが、あまりの暑さに挫折。パジェロの温度計は35度を指していた。途中、いつもいく千倉の八百屋さんで野菜をたくさん買い求める。午前中に食料品を全部調達して、地元の定食屋さんでランチを食べた。ここは、量が多くておいしい。食後のコーヒーもついて大満足。後は、読みかけの探偵小説を少し読んで、昼寝する。風が入って来て、気持ちが良くて、このままずっとここにいたいと思う。帰り道でまた、野菜と花を買って、明るいうちに帰って来た。すっかり夏だが、まだ雨が降るらしい。今夜も関東北部は大雨と雷だといっていた。


■1998.7.3

みんながお気に入りのWebサイトを持っていて、ワインの銘柄を言い合うように、素敵なページの話をしている。デザインも中身も新鮮にするためには、いくつもの眠れぬ夜を過ごさなければいけない。何かを失って、かわりに得るものがあるような気がしている。今週はよく働いた。週末もまた出かけることになっている。動けるうちが花なのだろうか。


■1998.7.2

暑い日が続くが、うちの部屋は冷房を入れていない。会社で冷え過ぎているので、帰って来たら汗をかきたいと思うのだ。調べたら、まだ暖房の設定のままだった。ところで昔から猫のいるところが家中でいちばん涼しいといわれているが、うちの二匹の猫は階段の踊り場とか、本箱の空いた棚とか、思いがけないところに寝ている。おせんべいのようにべたっと身体を平らにして大儀そうだ。寝室の西向きの窓は海風が入って涼しいので、試しに猫を置いてみたら、すっかり気に入ったらしく、窓の手摺に座って外を見ている。今年の夏はここで過ごすのだろうか。二匹ともハードロックには寛大で大音響でも気にならずにじっとしている。猫のいる風景も悪くない。


■1998.7.1

仕事の締切りに追われて、毎朝八時前から会社にいる。十分に明るい朝日を浴びて、サマータイムの実施を願う。一時間時計を早く進めるだけで、夏の間、明るいうちに家に帰れるだけでなく、夕食のあと外でテニスができるのだ。パリでも夜は10時過ぎないと、日が沈まず、したがって人々は町に繰り出して、食事や映画や芝居を楽しんでいる。冬の長い夜から解放されて、待ち望んだ春がやってきて、夏はまた、新しい季節が始まる。どんなお金持ちでも太陽の光は再現できないから、電気のいらない明るい夕べはほんとうに貴重。というわけで、わたしともうひとりで、勝手にサマータイムを始めた。朝仕事をするとすごくはかどる。邪魔する人がいないから、二時間で半日分の量をこなしてしまう。明日も早起きします。


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