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■1998.5.31

風の音で明け方目を醒す。雨戸がカタカタと鳴っていた。もう一度毛布を被って眠り直す。これが休日の醍醐味とばかりに九時すぎまで、眠ってしまった。正確にいうとお腹が空いて目覚めたのである。ここは静かで風が通って実に気持ちがよい。いくらでも眠れる。新鮮な野菜と海の幸に溢れている。昨夜作ったイカの一夜干しは、すこぶる美味。刺身用の新鮮なイカを買って、はらわたを取り、塩を振って洗濯ばさみに留めて吊るしておくだけ。落ちないようにちょっと工夫して、下にはボールを置いておく。すると翌日のお昼には、ちょうどよい加減で出来上がる。鰺の一夜干しも作ったことがあるが、こちらは開いて、鱗を取るだけ手間がかかる。庭に直径30センチくらいの穴を掘って、生ゴミを捨てていたら、栄養があるのかよく花が咲く。淡いオレンジ色のけしの花が咲いていたが、今回はトマトの苗ができていた。もちろん自然に生えたものである。館山は気候が温暖なので植物の生育には適しているのかもしれない。うちの周りも一年中花が咲いている。


■1998.5.30

15:30頃、館山自動車道を走っていると、たいていの車は遊び疲れて帰るところだ。こちらは荷物を積んで週末を過ごすために、今週も出かける。日経トレンディでも取り上げられたという、名物の回転寿司でお腹を膨らまし、家に着いてからは読書三昧。日頃読めない本がすらすらと読めて、久しぶりに十二時すぎまで起きていた。辻邦生と水村美苗の往復書簡集は、ずっと朝日新聞の読書面に連載されていたとあったが、ふたりの奏でる文学論が楽しい。水村いわく、文学を面白く読めるというのは「幸福」を知るということと同じです。文学とは、それが面白い人のためだけに存在している。辻いわく、現代は恋愛小説を書くのがますます困難な時代なのではないか。現代人は自己分析的な覚めた意識の眼にさらさなければならないこと、その恋愛を語ってゆく「物語」という表現形式が次第に崩壊していることが主な理由として挙げられそうですなどなど。ふたりの取り上げている題材も馴染み深いものばかりだったので、最後まで一気に読んでしまった。こういう夜は、余熱というか、余波というか、魂が高揚しているのでなかなかすぐには寝つけない。おまけに小沢征爾の武者修行まで読んでしまった。


■1998.5.29

横浜は一日中雨だった。ランドマークタワーの35階から、外を眺めていたら、昔のことを思い出す。この窓際から花火大会を見たこともあった。まわりにずいぶん、新しいビルが増えた。高いところから雨が降っているのを見るのは、記録映画でもみているように、事実なのだが現実感がない。目の高さのせいだろうか。横浜のお土産は中華まんじゅう。これが結構重い。隣のクイーンズ・スクエアをちょっと覗いてポンパド−ルで焼き立ての西洋パンを買ってしまった。こんな雨の日にたくさんの荷物をもつのは避けたいが、いまさら遅すぎる。平日に買い物をすることは稀なので、つい衝動買いをしてしまうのだ。さすがにエリザベス・マフィンでは、自分の分だけ買って、コーヒーを飲みながら食べた。この辺りがいつもの定番。研修のたびに、食料を調達して帰って来る。横浜までは、快速で一時間半かかる。眠っていても最後には自然と目が醒めてしまう距離だ。


■1998.5.28

明日は久しぶりに横浜ランドマークで研修。その課題の英文を書いていたら、こんな時間になってしまった。これじゃあ午後寝てしまうだろう。とはいえ、横浜行きは楽しい。金曜日でもあるし、帰りにクイーンズスクエアを覗いてみよう。本格的な中華まんじゅうをお土産に、小さい旅をするのだ。


■1998.5.27

調べ物をしていたら、こんなサイトを見つけてしまった。音楽を演奏し、人間と同様な感性処理メカニズムをもたせたコンピュータに、感想を述べさせるのだそうだ。MIDI-KEYBOARDでコード進行を演奏すると、感性をモデル化したコンピュータが音声とモニタを通してその感想を言ってくれますと書いてある。これはどこかの碁会所の人たちに知らせなくちゃ。これをフィルターとして使えばだめなCDを掴まされることもなくなるのではないか。あらかじめ自分のデータを登録して、どんな音楽が好きか、できるだけ自分に近い感性をコンピュータに持たせて、採点させるのである。そして、採点した結果を高得点のものから並べさせて、購入の判断に使う。逆な言い方をすると、コンピュータが自分の演奏を最低だと判断することもあるわけで、それも怖い。


■1998.5.26

新しいプロジェクトが始まって、とりあえず動き出したところ。一月前に構想を練っていたときは、だれも力を貸してくれないのではという不安もあった。人と会ったり、話したりするのは嫌いじゃないが、気の重い日々もある。そんなときは、リック・ウエイクマンを聴いている。こちらはキーボードが中心で、昔のシンセサイザの音がすてきだ。近頃は帰って来てから70年代の音楽を聴くことを日課にしている。すると、昔見えなかったことが、いまは分かるようになって年月の重さを感じる。若さは、やはりいちずで、まわりのことなど耳に入らないのだ。そんな時代の自分もなかなか捨てがたい。最近は、物わかりがよすぎて、喧嘩をしなくなった。頑固な人も少なくなって、みんないい子になってしまった。


■1998.5.25

寝る前に飲む冷えた白ワインは最高。グラスにつく水滴を眺めながら、確かにワインは文化だと思う。アメリカでもカリフォルニア・ワインをつくっているし、イタリアも、フランスも、スペインにもある。ロンドンではシェリー酒が食前酒で、ビールと、ジンライムがパブの定番だった。アルコールは強くないので、いまは甘口のドイツワインを楽しんでいる。ローマに住む日本人の大学教授は、偶然見つけた葡萄園のオーナーと契約して、一年分のワインを購入するのだといっていたが、これはほとんど、静岡の茶園と契約して、新茶から送ってもらうシステムと同じだ。ヨーロッパの国々では、日本の家庭に緑茶があるように、ワインの在庫があるらしい。大切なお客様がくると、とっておきの極上ものを披露する。そんな話を聞くにつけ、うちも早くそうなりたいと憧れる。一本のワインが2.5日持つから、一週間に二本と計算して、まあ、一年間で100本くらい用意すればいいかな。でも素人の哀しさ、そんなにワインの銘柄を知らない。ただいまこちらも修業中です。


■1998.5.24

どうして日曜日の十一時過ぎると、すばらしいアイデアが浮かんで来るのだろうか。決して明るいときには思い付かない。それをするためには眠りを少し犠牲にするか、気持ちを押し殺すしかないのだが、こういう選択で迷うのが嫌いなわたしは、先のことなど考えずに、自分の望むことをするようにしている。子供時代、親やまわりの人たちからよい子に見られたいため、自分を抑えて来たようなところがあって、その反動なのかもしれない。思い付いたことは、その場で実行しないと消えてしまう。図書館で森茉莉の書簡集《ぼやきと怒りのマリア・筑摩書房》を借りて来た。昭和33年から51年までの編集者との間で交わしたやり取りが載っている。作品でいうと贅沢貧乏や恋人たちの森の辺りだ。森茉莉は好きな作家のひとり。天性のお姫様が日常生活しているのはそれだけで数々の物語になる。


■1998.5.23

日帰りで名古屋オフに参加。昔、のぞみができたとき、なぜ名古屋に停車しなければならないのだろうかと不満だった。でも、実際乗ってみるとのぞみは便利。21:45まで名古屋にいて、ちゃんと00:30 には家に戻っていて、Webに書き込みができた。名古屋の町は奥が深い。ただ他所者の哀しさで風景をすべて東京調に翻訳してしまう。大須はまちがいなく秋葉原だし、名古屋城附近は日比谷のお堀端。東区にあるレストランはおしゃれで、多摩丘陵にある郊外型レストランそっくり。土曜日の昼下がりなのに、大阪ほど人も多くなく、ほどよい賑わいだった。ただ、思ったより広がりのある町で、とても徒歩では回りきれない。車が必需品のようだ。京都はおりおりに訪れているが、名古屋の町を歩いたのは初めて。


■1998.5.22

原稿の締め切りが近づいているので、担当者を回って進捗状況をチェックする。優秀なエンジニアというのは、なかなか癖があって、それを飲み込むまでには時間がかかる。今は、ずっとよい状態だ。本社と営業所を往復するのに、バスを使うようにしたらゆとりが生まれた。タクシーでDoor-to-doorもらくちんだが、気持ちの切り替えができず、なにかを引き摺ってしまうところがあった。バスにのって、ぼんやりと景色をながめていると小さな旅をしている気分になれる。仕事と仕事の間に気分転換がうまく計れると、案外むずかしいこともすらすらと解決できるようだ。気持ちが集中できると実力以上のなにかが発揮される。あるいは、チームワークとでも呼ぼうか。ひとりでは解決できなかった問題も、二人以上の人の手を経て、実にみごとに生まれ変わる。そんなとき、仕事を続けていてよかったなあとしみじみ思う。


■1998.5.21

昔のことをいうようでは、人間もおしまいかとちょっと思う。今日、探し物をしていたら、昔、編集長をしていた季刊誌がでてきた。わずか36ページの技術情報誌なのであるが、表紙がサム・フランシス、巻頭に気流と題して粕谷一希さん、巻末には山川健一さん、そしてなんとJ・WAVEの特集が4ページもある。これを作った1990年は、日本中がバブルのまっただ中にいた。だが、制作予算は限られていたから、原稿を依頼するのは、知り合いの知り合いで、インタービューも編集長が行なった。お客様からの評判もよかった。いまは、これほど情熱をかけて仕事をしているだろうか。


■1998.5.20

新しくメンバになった会社の同僚に4日間で"HTMLの基礎"を教えている。毎日、30分づつほんのさわりの部分でいいそうだ。第一日目: Font size, ソースを見方、<P>, <BR> の意味。 第二日目: Table (表組) を作る。枠付き、枠なしの表。 第三日目: リンクを作る。絶対アドレス(外へ)と相対アドレス(内部へ)について。 第四日目: PDFファイルをWebに置く。役に立つHTMLの学習サイト。これだけで全部というわけではないが、とりあえず最低限の知識にはなると思う。昔は、ソースの見方さえ知らなかった自分が、人に教えるなんて進歩しましたね。


■1998.5.19

澁谷からバスに乗って、東京の町並みを眺めていた。電信柱がなければもう少しきれいになるだろう。ニューヨークとも、パリとも、ロンドンとも違う不思議な町だ。不況だと言われているが、あちこちでビルの建設工事が進められている。東京の町は一年中こんな状態だ。昔よく通った洋服屋さんも取り壊され、更地になっていた。いつも会社にいて、居心地よく過ごしているので、たまには外の風に当たらないと、ぼけてしまう。


■1998.5.18

今日は、デジタル・カメラのセミナを受けた。現在26社が次々と新製品を出して、しのぎを削っているようだが、そのうち生き残れるのはほんの数社である。話を聞いていたら、仕事で使うのは、画質がいいもの、プライベートではお手軽なものという棲み分けができているらしい。わたし個人の考え方としては、負担にならない手軽さで、好きなときちょこっと撮れるのかいい。WebにJpegで張込むだけなら、35万画素でも十分。今後、ますます高画質なデジタル・カメラが現れ、普通の銀塩カメラが姿を消す日がやってくるらしい。街のカメラ屋さんはそのとき、どうするのだろうか。


■1998.5.17

だれもが陥る半年目の憂鬱。Webページを始めてから半年になる。正確にいうと半年以上だが、途中旅行などでお休みしたので、今頃がいちばんの停滞期だろう。やりたいことは山ほどあるのだが、自分の実力と時間と体力がうまく噛み合わずに前に進めない。そういうときは、新しい気を入れるために、身辺を片づけ、心を入れ替えて時を待つ。今できなくても、ふとできるようになることもあるし、気持ちを新たにして頑張りましょう。大掃除をしていたら、なくなったお金が出て来た。それに、先週売り切れだった嶺岡サブレーも無事買えたし、めでたさも中くらいかな、おらが春 といったところでしょうか。


■1998.5.16

早起きして、そのままずっと働いていた。久しぶりに大掃除して、スケジュール表を更新し、おまけに銀行の残高も確認する。昔はこんなときモーツアルトを聴いていたのだが、今日はクリムゾンをかけている。アイランドではつい手をとめてしまった。そのあと、ピンク・フロイドに突入したので、あわててCDを止める。この2つをいっしょに聴くのは、時間と体力が必要。やっぱりキング・クリムゾンの宮殿は最高だと思う。


■1998.5.15

早く寝たので五時にいちど目が醒めたが、また眠ってしまった。この朝の二度めの眠りくらい、気持ちのよいものはない。週末なのでキング・クリムゾンを聴いている。今朝、NHK FMでショパンピアノ・ソナタをウラジミール・アシュケナ−ジが、演奏していたが、あれをキース・エマ−ソンが弾いたらどうなるのだろうかと真剣に考えてしまった。今のように電子録音・編集装置があるなら、わたしでもできそうだと思うところが怖い。この曲、展覧会の絵以上にアレンジしやすそうなのだ。垂涎の曲とでもいいましょうか。


■1998.5.14

木曜日の夜はいつもは楽しいのに今夜はひたすら眠い。いくつか宿題があるのに、手をつける元気もない。こういうときは、無理をしないで早寝するに限る。とっておきのドイツワインが冷えているので、それを飲んで寝ることにします。


■1998.5.13

日赤の一日ドックに行く。年々検査の方法は易しくなっているが、それでも前日21時以降は飲食禁止で辛いことには変わりない。思ったよりも早くおわったので、銀座に出て木村屋で焼き立てのバゲットを買って来る。ここのアンパンは小粒だがおいしい。新しく出たブルーベリークリームはとても美味。帰って来てから時間がたっぷりあったのに、たまっていたメイルの整理をしていたら、あっという間に十一時。おまけに英詩をちょっと、辞書を片手に訳したので、よい勉強になりました。


■1998.5.12

久しぶりに知り合いから手紙が届いて、嬉しくて返事を書いていたら、夜がほとんど終わっていた。明治から昭和の初めにかけては電話もまだ十分でなかったから、ハガキを速達で出して、友だちの家を訪問したりしていたらしい。電子メイルは、電話ともちがって、声すら分からないのになぜ友だちになったり、できるのだろうか。わたしの場合、仲良しの手紙には、そこに自分の姿を見つけることができるのだ。普通の生活では、人はこんなに語らない。唯一私小説という分野があるくらい。いまは、みんな情報発信というけれど、もう一人の自分を紹介しているのだと思う。


■1998.5.11

月曜日からうんざりするような宛先のメイルを作る。これを貰った人もかなり不幸だ。さて明日からはどんな作戦で行きますか。会社というところは不思議なところで忙しい人に仕事が集中する。そしてその人たちは立派に仕事をこなしてくれるので、またお願いにいくというわけ。いつも同じ人にばかりお願いして申し訳ないのだが、それ以外の頼み方ではうまく機能しない。


■1998.5.10

海辺の街にいて、曇った空を眺めていても芸がないので、少し遠出して千倉町にある《潮風王国》に出掛けてみる。半年ぶりに行ってみると、少し模様がかわっていて、海に面した階段ができていた。下の方は波に洗われて、まるで海の中にたっているようだ。12チャンネルのTV取材班が市場の取材をしていた。季節のせいか、それとも風向きなのか、磯の香りがいちめんに漂っていて、いかにも海辺の街を演出している。ここまでの道のりを海沿いで来たが、ずいぶん道路の両側がきれいになって有名観光地の雰囲気がでている。それに較べて、私たちの暮らしている館山は、自然のまま手をつけられていないところが多い。どちらがいいのか、上手く説明できないが、館山に行くとほっとするのは、そこに日常の生活があるから。おしゃれな建物もいいが、それは生活とは少し違うような気がする。


■1998.5.9

今週も週末は館山で過ごす。外で夕食を済ませて、寝るまでにたっぷり時間があるので、借りて来た本を読む。最初の10ページを読んだだけで不吉な予感。この本を買ってしまうかもしれないという恐れだ。何年も人間やっていて、気に入った本に出会うことは、気に入った友だちを見つけることくらい難しいのを知っている。だから、最初の数ページで気に入ってしまうと、それは夢中で読むことになるのだ。気に入った本があって、時間があってでも一気に読んでしまうのは惜しいから、少しづつ楽しんでいる。こういうのを優雅な生活というのかしら。


■1998.5.8

日経ネットウィンドウズ98から閲覧ソフト分離を・米司法省という記事を見つけて、ついCNNまで行ってしまった。司法省としては、なんとしてもWindows98のコンピュータ・メーカ出荷の始まる前に王手を掛けたいらしい。一方、Microsoftも負けていない。事前に根まわしして、Windows98の出荷が遅れれば米国コンピュータ界にとって、大打撃であるなんて警告している。Tech Web Newsでは、その後の展開が載っている。日本語情報はちょっと遅いが、PC Watch にあります。


■1998.5.7

会社にいくと、みんなが順番に声を掛けて来て仕事にならない。ちょっとコンピュータとWebのことが分かるからといって何でも知っている訳じゃないのよ。こうなると誰もいない朝早く出掛けて行って仕事しなくちゃ。明日はもう週末だというのに、何にも終わっていない。一日中好きなプログレを掛けながら仕事できたら、給料があがらなくても我慢します。これってやっぱり音楽中毒だろうか。その分帰って来てから、YES聴いています。 


■1998.5.6

ほとんど二か月ぶりで図書館に行く。家から道一本隔てたところに県立中央図書館があって、その新刊コーナーだけに立ち寄るひとでなしが実はわたくし。新しい本の匂いが好きなので、近くにありながら図書館をずっと敬遠していたが、新刊だけ集めたコーナーがあるのを発見して以来、そこだけ見て適当に借りて来る。だいたい滞在時間15分以内。今日の収穫は《源氏物語のテマティスム・葛綿正一》・《ユリシーズを書くジョイス- フランク・バッジェン》。こうやって特に作者にもこだわらず、そのときの気分で選んでいるのに、後から買い求めた本はたくさんある。始めから本屋さんに並んでいたら、決して読まない本なのにとても不思議な気がする。会社が始まったので、自分の中で上手に精神のバランスをとっていかないと危うい。責任の重くなった分だけ愉しみも見つけなければね。


■1998.5.5

連休最後の日は、早起きして一度家に帰り、また出かける。Jリーグの試合があるのだ。お天気が曇っていてところにより、俄雨もあるらしい。一応雨具ももって出かける。お菓子をもって、水筒ももって、気分はまだ連休中。こんなにのんびりして明日から現場に復帰できるのでしょうか。まあ、三日間なのでなんとかなるでしょう。試合は4対2でジェフ市原が勝ちました。見せ場がたくさんあったので、つい大声で声援してしまった。


■1998.5.4

昼過ぎまでぐずぐずしていて、二時過ぎてどこかへ遊びに行こうと思った。今日は連休の行楽帰りのラッシュで、上り方面は渋滞しているらしい。そこで海遊びもできる長尾橋河口に出掛けた。うちから三十分くらいで川にはアヒルの他、シギなどの水鳥がいる。道路を渡ると向こう側は海で、今日の干潮は16:58だから良い具合に水が退いている。岩場にはヤドカリやハゼなどが隠れていて、見ているだけで楽しい。目の前には大平洋が広がっていて、それはもう絵に書いたような海の風景である。帰って来てからとり肉とうずらの卵を使ったまま子ハンバークを作る。よく冷えたトマトにさらした玉ねぎを散らして、ドレッシングで和える。昔の人はこんなシンプルな生活を楽しんでいたのだろうと、思った。


■1998.5.3

朝起きたら9:15だった。そうそうに朝食を済ませて食料の買い出しに行く。この芹は二番目だから柔らかいわよと聞き、ほかにも蕗、トマト、玉ねぎ、ほうれん草など新鮮な野菜を買う。それから刺身にするヤリイカや平目、あさり、たらこなど海の幸を求める。後は、お米さえあれば凝らなくても美味しいものが食べられる。なにしろ連休だけあって、いつも閑古鳥が鳴いている回転ずしまで行列している。こんなときは、地元の店に行くか、自分で作る方が気分がいい。


■1998.5.2

連休は館山でおいしいものを食べて、ゆっくり休んで、ひたすらのんびりするつもり。風は激しいがおかげで雨雲を吹き飛ばしたくれたようだ。午前中はCDの整理に明け暮れる。10枚組のCDカセットにどのグループを組み合わせるかで、結構頭を使う。プログレ、ハードロックと分け、解散を繰り返しているグループはなんとかまとめて、それらを年代順に並べてみた。これを一気に聴くと本当に勉強になります。切れていた回路にまた水が流れて、昔のことを鮮明に思い出す。


■1998.5.1

いきなり五月になっていた。しかも明日から四連休。嬉しくてため息がでる。宿題のレポートも送ったし、朝から夜中までレコード三昧も悪くないな。ゆっくりと本も読みたいし、たまには映画にも行きたい。くずくずしていると朝になってしまうから、取りあえずWebで映画館の上映時間でも調べよう。ところで真由美の音楽修行すこし更新しました。中級の3です。


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