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2009年05月01日(金) 旧暦 [n年日記] [更新:"2009/05/15 08:11:27"]#1 [映画] イタリア映画祭 「プッチーニと娘」
プッチーニと娘 Puccini e la fanciulla (Paolo Benvenuti) 美しい映画だった。殆んど科白がない、あるとすると手紙の朗読、それに 音楽と効果音だけのもので、実験的とも 無声映画的とも言えるもの。プッチーニが創作をした 美しい湖 のほとり での撮影 だということだ。またプッチーニ役は、Palma の concervatori の ピアノの先生 ということで、音楽映画に良くある、「ひいているように見える人と、実際に音を 出している人は別の人」がなく、それもとても好感的だった。 僕は残念ながら「西部の娘」を見たことがなく、 その意味では感動がその分足りなかったかも知れない。 前に監督御自身の御挨拶、また後には Q and A がそれぞれ岡本太郎さんの通訳であり、 大変得をした気分になる。
さて邦題であるが、娘と言っても daughter ではない。
「西部の娘」は La Fanciulla del West で、この時にはこの邦題で誤解はない
と思うが、普通に人の名前の後に娘と書くと daughter の意味になる。
つまり何が言いたいかと言うと、 「プッチーニと娘」は適切でなく、誤解
を生む(中身を表わしていない)と思う。「プッチーニと女」というしかないと
思う。女達ではなさそうなので。
La Fanciulla(ラ・ファンチュッラ)とはイタリア語で『いたずらっこ』という意味の言葉です。しかし、子供への愛情のこもった呼びかけにも使います。また、恋人や婚約者への呼びかけに使うこともあり、優しい響きを持った言葉の一つ。確か フィガロ の中で伯爵夫人が、 衣装部屋の中にいる(と思っている)ケルビーノのことを È un fanciullo... と言っているが、これは男の方だけれど、同じ ような言い方かと思う。( fanciullo はそれ以外にも何度か使われているようだ) つまり、意味としては 「プッチーニと恋人」ということらしい。そのまま邦題に使えるかは、別だと思うけれど。 まあ、「西部の娘」を連想して欲しいとすると、これでもいいのかな。 あっちまで邦題を変えて欲しいとは言えないだろうから。 それから、監督さんのお名前が Benvenuti で、これは英語なら Welcome ではないかな、 御本名なのかどうかはお聞きすることが出来なかった。米人で Allgood さんという人 にお会いしたことがあるが、そういうような趣きだろうか。 ( つっこみ )
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