夢のなかに思いで
――五飛、教えてくれ。
俺はあと何回殺せばいい?あと何回、
あの少女と子犬を殺せばいい?ゼロは何も言ってはくれなかった……。
施設の金網を飛び降り、猫のようにやわらかく着地する。まだ名もない少年は、そのまま、たっ…っと走り出した。いつも訓練のあと、その大地に横になる。作られた人工の大地に仰向けになって、本物に似せたその人工芝生の匂いを嗅いで、作られた人工の箱庭の天井を眺める。
「はぁ……っ」
慣れた動きだったから、息などはあがっていなかった。それでも、深く、呼吸を繰り返す。ふと、視界を遮るものがあった。つばの広い麦わら帽子をかぶった、可愛らしい少女の顔があった。影になっていて、表情はよくわからない。
少年は、がばっと体を起こした。
すると、少女は笑ったようだった。
「はい」
差し出されたものは、黄色い花。名も知らぬ、存在すらも知らぬ花。この箱庭で作られた人工の花。きっと必要とされて育てられたのに、要らなくなって捨てられた花。こんな少女が気軽に持っているくらいだから。
「これは……?」
「おにーちゃんにあげる。…ねえ、おにーちゃん迷子なの?」
何も知らない、あどけない無邪気な笑顔が、こぼれる。
「俺は」
少年は、受け取った黄色い花に自分を重ねた。
「…生まれてからずっと迷子なんだ」
「ふぅん」
少女の顔に、さっと小さな影がよぎった。
「それ、おにいちゃんにあげる。私は迷子じゃないんだよ、メリーのお散歩してるの」
少女の手に綱が握られていた。どこにでもいるような普通の、茶色の子犬が繋がれていた。突然、子犬が走りだす。
「まって! まってってば、メリーっ。…じゃあねっ」
半ば子犬にひっぱられるように、少女が追い掛けていった。
少年は、もらった花を、何を想うでもなく見つめていた。
爆音がする。連合の施設から火の手があがり、もうもうと上がる煙りが、コロニーのウェザーレインを作動させる。少年が昼間仕掛けた罠が、夜になって発動したせいだった。
また一つ爆発が起こって、その余波を巨大な人型が受けた。
すぐ隣は居住区だった。人型のゆっくりと倒れ込む先には、民間の建物があった。あの人工の芝生の上で出会った少女と犬は、確かそっちのほうへ走っていったと、記憶にあった。
「ちっ…」
軽く舌打ちし、同時に手にしていた黄色い花を投げ捨てる。少年は駆け出していた。
間に合わないとわかっていても。
部屋のヴィジョン。
棚の上に飾られたティディベアが、傾く。
炎がその部屋を包み込んで、そのままヴィジョンがかき消えた。
ウェザーレインが少しずつ弱まっていって、耳の中だけに雨音が残る。
瓦礫の下に見つけた子犬は、昼間見たものか、ちがうのか、少年には判別できなかった。拾ったときまだぬくもりのあった体躯も、今はもう、すっかり冷えきっている。
腕の中で冷たくなっていく子犬を見下ろしながら、少年は何も感じなかった。
ただとぼとぼと、崩れたコンクリートの固まりの中を歩く。
俺は何をしたのかな。
俺は何をしたかったのかな。
俺は何をすべきだったのかな。
俺ハ何モデキナカッタ。
コクピットの中の警報機が悲鳴を上げている。
ゼロの高度が下がっていく。本物の海が眼下にせまってくる。
何も感じないまま、システムを落とし、ヒイロは目を閉じた。あの犬も、何も言ってはくれなかった……。
――――――誰もいない何もない音のしない海底で、
計器が目覚め、ランプが灯った。
「ゼロ?」
うなだれた格好の少年が、顔をあげた。
「ゼロ、動けるか?」
まるでそれに応えるかのように、
システムが起動していく。
俺ハ何カスルコトガアッタハズ。
3発めのバスターライフルを撃ち終えて、ついに耐えきれなくなったゼロが、空中でオーバーヒートする。その中で、ヒイロは少女の微笑みを見ていた。
俺は何をしたかったのかな。
君は何をしたかったのかな。
何を言いたかったのかな。
ほとんど無意識のうちに、撃ち破ったシェルターの中に潜入していた。
右手に銃を握りしめ、見知った若い外務次官の腕の中に抱えられた、オレンジの髪の少女を見据える。
ゆっくりと、銃を構える。名前を呼ばれたような気がした。
制止の声がかかったような気がした。それでもヒイロは引き金を惹いた。
乾いた音を立てて、空砲が鳴った。
「マリーメイアは殺した…
もう俺は誰も殺さない…こ…殺さなくて…す…む…」
――俺はもう、誰も殺さない。
誰モ殺サナクテスム。
倒れ込んでいく白濁した意識の中で、誰かが腕を差し伸べてくれた。
俺は何をしたかったのかな。
俺はこれを守りたかったのかな。
「やっと、終わったのね…」
はじめて大地に降りて聞いた少女の声が、すぐ耳もとでした。麦わら帽子の少女の微笑みが、鮮やかにまた蘇った。
何かを言うように、唇が動いた。
君は何を言いたかったのかな。何も言わなくていい。
俺はもう、迷子じゃない。
俺は
もう、誰も殺さない。
誰も殺さなくて、すむ…。
あの少女と子犬が最後に笑ってくれたから。