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夢六夜

《いかにも、殿ご乱心の噂を流したのは、わしじゃ。》

並み居る家来たちがどよめいた。本多作右衛門は、この坂田家随一の家臣である。これを聞いて刀の柄に手を掛けたものもいた。しかし、作右衛門は、悠然として、こう語った。

《あわてるでない。最後まで話を聞くがよい。みなも知っておろう。昨今の殿の成されようを。わしの甥ごだから、いうではないが、采女は幼いときから殿のお傍に上がり献身的に仕えておった。若輩ものゆえ、ときには、慢心することもあったろうが、殿のご愛猫の美美をあやめたからといって、家禄を召上げ国外追放とは、あんまりよな。そうは思わんか。第一、あの猫め、畏れ多くも大河様からの直々の賜わり物である、あじさいのなつめをくわえて逃げようとしていたところを采女に捕えられたというだけじゃ。忠臣ならだれでもしたことを采女もしただけ。他意はない。》

そう言うと、作右衛門はあたりを見渡して、また話し始めた。

《たが、これには、もっと深い訳があってなあ。奥方お醍の方の腰元、なみ路どのがかねてより、采女に心を寄せているが、どうしたことか、この女子に、殿もえらくご執心。それゆえ、ふたりを引き離そうとたくらんだにちがいない。 まだまだある。近ごろ殿がご寵愛の小姓、佐々木源之城がなにものか、だれぞ知っているものはおるか。こやつこそ、あの佐波田一族の生き残りぞ。》

一同がどっとどよめいた。佐波田との決戦については、だれもがまだ生々しい記憶をもっている。あの激しい戦いの日々。親類、家族、家来などで一族で死者をださなかった家はなかった。

《なぜ、そのようなものが殿のおそば近くに侍しているか、不思議に思うだろう。わしも始めは信じられなかったことなのだが、殿は異国風のものをきわめてご寵愛されておる。この源之城なるもの、南蛮の楽器をもちこんで、殿をたぶらかしたというわけじゃ。 なんでも、琵琶に似た形で、聞いたこともない悲しい音色を奏でるそうな。残念ながら、わしは聞いたことがないが、采女がそう申していたわい。

殿は近ごろ、政事よりは、その音色を楽しんで、昼夜にわたり、宴をはり、内外から、芸人ども招いて、歓待しているというと聞く。》

 作右衛門は、立ち上がると、みなの前につかつかと進み、一枚の誓紙を差し出した。目には涙をたたえているが、そりを隠そうとはしなかった。

《殿はお小さいとき、母上から離されてそだったゆえ、弱いものには心を傾けるところがある。それは優しい性質ゆえ、わしも陰ながら今日まで、見守ってきたが、どうもこの乱世では、そのような生き方はゆるされぬらしい。このままでいくと、わしらは佐波田一族のようにある日突然隣国から攻められて、それで終りというわけじゃ。

なあ、みなのもの、殿、ご乱心ゆえ、亀山に蟄居してもらい、家督を弟君の国恒さまに譲ってもらうことにしたらどうだろう。国恒さまは、知ってのとおり、武勇にすぐれた方じゃ。戦の仕方、家来への心配りなどに長けておる。そのような方こそ、今の時代に必要なのじゃ。》

そういうと、作右衛門は重臣たちの前に血判状を差し出した。


 


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