1974.3.24
■ラウンドハウスで、クライマックス・ブルース・バンドを聴いてきました。

日本に帰ってから、銀座のヤマハでようやく見つけたのだけれど、中でも "So much Road" よかった。 いつか、マーキーで会ったカッコイイお兄様とここで、また再会しました。でも、彼は女連れです。ほかにもロック関係の人が何人かいて、どんなバンドがここではやっているのかを教えてくれました。月曜日にはワイルドターキーを見に行きます。


1974.3.25
■こちらのミュージシャンは美男揃いで、みんな揃って女物の衣装をきています。

こちらのミュージシャンは、細身で、色っぽくて、女物のブラウスをきていても似合っている。ワイルドターキー(略してワイタキと呼んでいました)のボーカルなんてビヨルン・アンドルセン(映画: ベニスに死す でいちやく大スターとなった人)そっくりの美少年なんです。いったい何歳なのかしら。だんだん日本に帰りたくなくなってくる。ワイタキで、また、ロック関係の人たちと会ってしまいました。今度はバッドカンパニーがいいとのことで、いっしょに行くことになりました。


1974.3.26
■King's Road にあるSafeway はスグレものです。

わたしの住んでいるところからは、バス停で三つもあるのですが、ここでは新鮮な果物が自分で選べるし、牛乳も売っています。いま凝っているが、レーズンとピーナッツをまぜて食べること。これはロンドンではじめてお目にかかったのですが、ちゃんと袋入りで売っています。あとは、プラムの干したもの。これも美味です。リンゴはいろんな種類があるけれど、Cooking Apple というものは、初めて出会いました。いわゆるアップルパイ用のリンゴですが、すっぱくて、かたくて、生ではたべられない代物です。


1974.3.27
■D. H. ロレンスの"恋する女たち"を読んでいました(もちろん日本語です)。

二ヶ月近く旅行するので、日本からたくさんの文庫版を持ってきたのですが、アガサ・クリスティを片手に、ハイドパークに行っても楽しくなかった。ロンドンの風景みながら、推理小説に没頭することはむずかしい。でも、ロレンスは、生き生きとした描写に胸を打たれ、感覚的に理解できる点が多かった。これは、だれかを恋していたのでしょうか。


1974.3.28
■離れているので、家族やともだちにがんがん手紙を書きまくりました。

父と母が別便で手紙をくれて、弟や叔母たちが書いてよこすので、こちらも毎日三、四通は書きます。見ることすべてが珍しいのと、感想を言い合う相手がいないので、日本に向かって叫んでみるのです。買い物をしすぎた娘に、送金する話が決まって、なんと、自分の名前がサインされているトラベラーズ・チェックが届きました。もちろん、書留です。あとで聞いたら、わたしが銀行口座を開いていれば、そこに送金するのが、簡単だったようです。でも、母がサインしたチェックを送るなんて大胆な家族ですよね。


1974.3.29
■お友たちと約束して、ケンシントンのBIBAで待ち合わせです。

外出するのに、家族からの手紙をもって出かけて、友だちを待つあいだ、それを取り出して、返事を書いています。ロンドンのデパートには、座る長椅子があります。BIBA で 草花のコロンを買いました。瓶のかたちが、アールデコ調なので、気に入って買ってしまったのです。石鹸もいい匂いのするものがたくさんあります。お風呂には、気に入ったバスオイルを入れるのですが、松の香りが人気です。


1974.3.30
■いよいよ髪を切ることに決めました。

肩までまっすぐに伸ばした髪をどうするか、ずんぶん悩んでいたのですが、マーキーのパンフレットに紹介されていたヘアードレッサーに行くことに決めました。髪型は、もちろん、ロッド・スチュワート風。キース・エマーソン風とでもいいましょうか。 チップの渡し方が難しいと聞いていました。シャンプー係りに、そして、カットしてくれた美容師に、最後にオーナーに。でも、たぶん日本よりは安かったと思う。みなさん、親切でいろいろとアドバイスしてくれました。 その後、日本に帰ってからは、見よう見まねで、自分でカットして、その髪型を保っていました。