1974.3.10
■きょうも雨。ハイドパークには行けません。

雨が降っても傘をもたないわたしは、家にいます。こちらで本場の傘を買おうと思ったのに、ステッキみたいな男物は伝統的にあるければ、上品な女物はどうもみあたらない。そこで、雨に出会ったら、厚手のスカーフを頭にかぶってやり過ごします。みんな、ここでは傘なんてもっていません。雨はシャワーのように断続的なんです。天気予報はおどろくほど当たります。


1974.3.11
■キングスロードの近くに下宿がみつかりました。

引っ越しです。荷物をつくって、スーツケースにぎゅうぎゅうに詰めて、準備オーケーです。実は、きょう、キングスロードを歩いていたら、見知らぬ日本の人に話し掛けられました。この近くにお住まいですか。いいえ と答えるとこの近くに、よい下宿があるというのです。基本的にこの種の誘いは無視することにしているのですが、昼間ですし、相手は気の弱そうな、人柄のよさそうな二人組だったので、近くのhabitの二階でコーヒーを飲みながら話を聞きました。 ふたりは旅行者で今度スペインに行くのだが、身軽に行きたいので、その間一月くらい、荷物を預かってくれる人を探している。ついては、あなたをぼくの従姉妹だと紹介するから、このホステル(学生用の宿舎)に入ってくれないか、一週間で £7.21、しかも朝夕、土日は三食付だよ。というのです。信じられない条件なので、一応ついていくと、それは本当でした。外見は旧いレンガづくりで、門なんか半分くずれかかっているのだけれど、なかは暖かく、気持ちがいい。古き良きイギリスって感じ。男女は建物が別なので取りあえず、荷物を玄関までもってきてもらって、預かりました。スーツケースが二つ。このときまで、わたし、相手の名前も知らなかったのですよ。森さんと豊田さんといいます。向こうも、荷物を預ける相手がなかなか見つからなくて、出発の日は近づくし、かなりせっぱつまっていたようでした。なにしろ、場所が最高。六本木のアマンドの裏とでもいえば、おわかりになりますか。いまは、もう取り壊されてしまったのですが、住所は次の通りです。St. Georges Hostel 47 Milmans Street London S.W.10。とりあえず、三人部屋に案内されましたが、季節柄、がらがら大きな部屋にひとりで暮らすのは最高。もう一月もすれば、日本から友だちが来るし、いうことなしです。


1974.3.12
■キングスロードの下宿はすぐれものじゃ。

スローンスクエアから南に一本伸びた道が、キングスロードです。スローンスクエアは地下鉄もあって、駅前にはピータージョーンズというデパートがあります。ここの子供服売り場で、絵ワイン色のマントを買いました。子供用なので、胸をクロスするたすきが付いています。タオルや、布団生地などのファブリックが充実していて、イギリス中流の暮らし振りがうかがえます。ここでは、お土産用品をたくさん買いました。キングスロードも、ロンドン大学チェルシー校舎をすぎ、消防署の先になると、店がとぎれてここからは観光客もあまり来なくて、静かになります。でも、この先に、Rocky Horror Showのシアターがあったり、T. Rexのマークボラン御愛用のグラニーというグラムロック専用の洋服屋さんがあったりするのです。


1974.3.13
■帰りの飛行機のチケットを予約しました。4月21日です。

チケットの予約はピカデリーにあるアエロフロートの営業所に行って、希望する日を言うだけで簡単にできます。帰る日が決まって少し安心した。これからは計画的にロンドンを楽しもう。でも、仲良しだった人たち、ここで日本に帰ってしまうので少しさびしいな。3月16日には、日本人のたくさんくるダンスパーティが開かれるのだそうだが、どうしようかしら。


1974.3.14
■19と4のバスを乗り継いで、レインボーシアターに行ってきました。

あとは、ラウンドハウスを見つけるだけ。 日中はいいのだが、たそがれどきになると悲しくなる。日本に帰るまでまだ、一月以上あるのだ。これまで、なんだかんだと周りに日本の友だちがいたけれど、ひとりではいられないと思う。家族から便りがないせいかもしれない。昔、住んでいたところにいってチェックしてみよう。


1974.3.15
■チェルシーのアンチックマーケットは楽しい。

チェルシー・シティーホール横には、小さな公園があって、そこにアンチックばかり集めたマーケットがあります。ガラス細工の凝んだブローチとか、レース編みとか。みているだけで、心が優しくなれます。わたしはここで胸にとめるキラキラしたブローチを買いました。銀杏がたの台に細かなガラスが嵌め込んであります。


1974.3.16
■マーキーですてきな方と出会いました。

年は22才。クリエーションというグループを成毛滋や内田祐也といっしょにやっていたそうです。日本がいやになってロンドンにきたようで、こちらのバンドに入ってはたらくのだそうです。マーキーはいいよといっていましたので、わたしもできるかぎり、通おうと思いました。ふたりともバスを待っていて、いろいろとお話しました。その人はEarl's court(アールズ・コート)にいて、家を探しているといっていました。当時ロック系のひとがまず、落ち着くのがここなのです。久しぶりに優しい会話を交わし、嬉しかった。18日には、トラフィックに行くといっていました。わたしも行きたいな。